異色の経歴を持ち、現場に強い建築家が目指す「手ざわりの建築」

ボルト1本、釘の間隔にも意味がある。その知識が建築を変える

 真島さんは、大学と大学院で建築を学んだ。しかし、「机上の知識だけでは、実務に自信が持てなかった」と言う。
 「建築を学ぶ学生は、設計事務所でインターンのように働く伝統があります。私も学生時代に有名な設計事務所へ行きましたが、まったく実務に付いていけませんでした。そこで別の、設計だけでなく施工も自分たちで行う事務所に移りました」。
 そこでノコギリを挽いたり、ペンキを塗ったり、真島さんは住まい作りを実体験する。
 「自分で作ると、ものづくりがダイレクトに理解できます。教科書で読んだことが、すべて実地で経験できるのです。これは大きな経験でした」。

 もっと現場を知りたい。建築材料にじかに触れたい。そう考えた真島さんは、大学院を卒業すると鉄骨鳶の仕事に就く。
 「父が鉄骨鳶なので、鳶工事には少し馴染みがありました。しかし最初の1年は骨組みの上には上がらせてもらえず、『ジュース買ってこい』の使い走りです」。
 ようやく骨組みに上がらせてもらえるようになると、これが実に面白かったそうだ。
 「ひとつの接合部分に、20本、ときには30本ものボルトを入れます。その1本1本に、建築で言う“構造”が潜んでいるのです。ベテランの職人は、急所となるボルトの位置を見抜き、そこを強く止めると、驚くことに全体がピタリと合ってしまう。たった一本のボルトや釘の間隔ひとつにも意味があることを知り、本当に勉強になりました」。

 そこから建築士の道へ進むかと思いきや、真島さんは「ものづくりをすべて体験したい」と考え、建築会社に現場監督(施工管理者)として就職先を選んだ。
 「最初に担当したのは、デザイナーの手になる公衆トイレの建設でした。現場の職人さんたちに、『実はオレ、建築士になりたいのです。現場のこと教えてください』って言うと、面白がってくれましてね。『建築家なんて偉そうで煙たかったけど、現場の勉強をしようなんて偉いじゃないか』って」。
 基礎を担当する土木職人から大工、左官、塗装、設備、電気工事まで、担当した新築、リフォーム工事の先々で様々な職人さんから「作業の勘所」を聞き、吸収していった真島さん。
 「仕事は非常に面白かったのですが、あまり長く設計から離れるのも怖かったので、担当物件が完了したタイミングの2年半で退職しました。今度は設計事務所の運営方法を学ぶため、群馬の設計事務所に勤めました」。
 ここで見積もりや工期の算出法などを2年弱にわたって勉強。実はこの設計事務所に勤務したことが、真島さんに大きなチャンスをもたらすことになる。

 「様々な修行を終えて、ようやく2013年の暮れに独立しました。そして最初に声をかけていただいたのが、その設計事務所で一度仕事をした、地場の歴史ある工務店さんだったのです」。
 打診されたのは、実に特殊な案件であった。
 「群馬県の、重要伝統的建造物群保存地区での建て替え案件でした。その工務店さんは 『いわゆる昔の家をそのまま作るのでは面白くない。若い建築家と組んで伝統という制約の中でも、モダンな感覚を入れよう』と、私に白羽の矢を立ててくださいました」。
 初仕事で大いに気合いの入った真島さんだが、仕事の概要がわかると考え込んでしまった。

 「保存地区なので、設計に多くの制約があり、ほとんど工夫の余地がないのです。施主様はご年配の三姉妹でしたが、打ち合わせには市役所の職員も同席する物々しい雰囲気で、モダンと言われてもどうしたものかと…」。

 しかし、少しずつ話をするうちに、真島さんの頭にひとつのイメージが浮かんできた。
 「近くに天満宮があり、区割りが少し斜めになっていて、その土地自体が、伝統を残していて、面白い雰囲気なのです。施主様は家を起点に、近所の八百屋さんや魚屋さんで買い物をするような、街全体を家の延長として生活をなさっている。なんというか、外と内がつながっているんですね。この感じを、新たな住まいでも残していけないかと考えました」。
 提案後、施主様との打ち合わせを重ねるうちに、ところどころ現在の姿に変化したが、ひとつだけ、当初の提案から変更のない真島さんらしい特徴がある。

 「寝室が、家全体に対して少し曲がっているのです。『90度』には交わっていない"ミチ”などの外の雰囲気をそのまま家の中に延長する提案だったのですが、提案当初から工務店さんも『これは面白い! こういうのがほしかったんだ』と言ってくださいました。施主様の暮らしぶりが心配でしたが、違和感なく、楽しく暮らしていただいています」。

 そう、実はこうした「水平や垂直であることに疑問を抱いていること」こそが、真島さんの特徴なのだ。

指示通りの建築は、つまらない。現場で職人の工夫を引き出す

「私が設計を志したきっかけは、宮城県の気仙沼にあるリアス・アーク美術館の建物なのです」と真島さんは言う。「壁がボコッとへこんでいたり、不思議な梁が通っていたり、建物そのものが美術的なのです。初めて見たときには、笑いが止まりませんでした。私も、ただの四角い箱のような整然とした建物でなく、どこか人間的で身体的な手ざわりを持ったものを作りたいと、建築家になることを決めたのです」。
 たとえば壁が床に対して垂直でなく、内側に少し傾いていたり、外側に倒れていたり。それだけで人と壁の関係性が変わる。
 「面白い、というのは、建築にも大事なことだと思うんですよ。奇をてらうのとは違った、印象に残る何かが施主様の家への深い愛着に繋がると思っています」。

 こんなことがあった。群馬のある医院で、事務棟のリフォームの設計をした際、打ち合わせスペースを三角屋根の家型の空間にデザインした。すると、それを見た院長が
『これはまるで教会だ。実は母が敬虔なクリスチャンで、この場所で息を引き取った。ここはぜひとも教会の様にしたい』と言い出したのだ。

 もとより真島さんはそんな事情は知らず、教会を意識してデザインしたわけでもなかった。
 「でも、その施主様の提案によってその空間の価値が元の設計よりも格段に上がりました。私は、設計通りにそのままできあがる建築は面白くないと思っているんですよ」。

 現場好きの真島さんは、しょっちゅう施工現場に顔を出す。金額、工期、機能などの制約の中で変更すべき点を発見すると、施主様の了解を得て、その場でスケッチを描いて職人さんに指示をするそうだ。
 「スケッチによる指示の中で、腕のある職人さんは、『だったらこうしたほうが早くてきれいだよ』などと提案してくれます。これこそがものづくりだと、私は思います。もちろん施主様の要望を形にするのが第一ですが、要望をただ図面に落として安心するのでなく、最後の最後まで要望を深められるようなアイデアを出して、図面を超えるオリジナルな住まいを建てていきたいと思います」。

持ち前の親しみやすさと、現場で培われた設計の知見を持つ真島さんの今後の活躍に注目だ。
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