
日常の出入りは玄関でなくバルコニーから?
常識破りの設計で叶えた広さと住み良さ
超高速を超える爆速対応もプラン変更
戸数増でも容積が減るというジレンマ
そんな街の一角に7階建てのマンションFABRIC東長崎が建つ。外観は何の変哲もない普通のマンションに見えるが、このマンションには驚くべき秘密が隠されていた。。
設計を手掛けたのは、個人事務所でありながらも、約16年間で65棟、704戸の賃貸マンションを手掛けている建築家、設計事務所バリカンの中川さん。
中川さんは「土地の図面を受け取ってから 90 分以内に、敷地の利用計画、建物のボリューム、戸数や各住戸の面積・形状といった基本構想を作成し返信する」という、超高速対応が代名詞ともいえる建築家だ。
そんな中川さんのもとに、常連ともいえるお客様である株式会社バンブーフィールドから連絡が入る。「大至急、何㎡の部屋が何戸とれるかだけでいいから送ってほしい」との依頼が入る。中川さんは、手描きのスケッチに手計算した数値を入れたプランを即座に送ったという。中川さんの通常の超高速対応を上回る爆速対応だった。
しかしその後しばらくして「あのプランでは、採算が合わない。別案はないか?また、この物件の強みになるポイントも一緒に考えてもらえないだろうか?」という依頼が届いたという。
「これまでは、エレベーターの必要のない5階建てまででプランニングしていましたが、この土地ではエレベーター付きであれば7階建てが可能です。その線で再検討します」と中川さんは答えたという。
しかしこの7階建てというプランが大きな難題を生んだ。それは、戸数が増えても、各戸の専有面積が減ってしまうということ。
5階建てまでであれば、壁式構造が使えるものの、6階以上となると話は変わる。通常、強固な柱や梁で支えるラーメン構造となり、室内に柱が張り出すため、居室空間が狭くなってしまう。
さらに追い打ちをかけるのが、エレベーターの存在。必須設備とはいえ、貴重な面積を奪っていく。
そして、最大の難関が建築基準法の壁。6階以上の建物には、「2つ以上の直通階段」が義務付けられている。小規模マンションにおいては、「避難上有効なバルコニー+屋外避難階段」という緩和規定も使えるが、いずれにせよ居室面積が削られてしまうことは避けられない。
つまり、7階建てにしたことで戸数を増やせても、エレベーター設置費用や構造変更に伴うコスト増を吸収することができず、採算性は改善しない。これが中川さんの直面したジレンマだった。
バルコニーとエレベーターホールを一体化
ウルトラCの発想で、居室面積を増やす
FABRIC東長崎は、西武池袋線東長崎駅から徒歩8分。都営大江戸線落合南長崎駅から徒歩10分という立地。徒歩で辛い距離ではないが、自転車があれば一瞬だ。池袋や中野へも15分程度でいける、自転車との相性が抜群に良い地域。
そこで中川さんが目をつけたのが、自転車の屋内保管。近年の自転車ブームもあり、高級自転車を所有する人も増えている。居室内に保管できれば盗難の心配もない。これは大きな付加価値にもなる。
そうすると問題となるのがエレベーターだ。自転車に対応するには通常の6人乗りではなく、13人乗りの大きなものが必要となった。
大きなエレベーターもまた、面積を圧迫してしまうのだ。
いかに面積を広くとるか、それがこの物件のカギだった。
中川さんがまず検討したのは、前面に階段とエレベーターホール、裏手に避難バルコニーという、王道プラン。通常なら、これ以外の「解」はないと思うだろう。
しかしそこは「子供の頃からパズルを解くのが好きだった」という中川さん。思考をここで止めることはない。法規制という制約の中で、間取りという難解なパズルをどう解くか。思考を重ねた末、ついに1つの解にたどり着いた。
それは、「避難上有効なバルコニーとエレベーターホールを一体化する」という斬新なアイデア。具体的には、各居室に2つの出入口を設ける。通常出入りする側は、玄関ではなく法規的には「バルコニー」として扱い、反対側の勝手口のような扉が「玄関」とする。こうすることで、避難経路を確保しながら、居室面積を最大化するというウルトラCだ。
「このアイデアを思い付いた瞬間、脳汁がぶっしゃーと出るような感覚でした」と中川さんは振り返る。
画期的なアイデアを思い付いたからといって、それは実現できなければ絵に描いた餅。そこで中川さんは、事前に「指定確認検査機関」に、このプランで建築確認が通るのか、念入りに確認したそう。
「回答は、『きちんと成立している』というものでした。斬新すぎて前例はないものの、法的にダメな理由が見つからなかったんだと思います」と中川さん。
こうして画期的なプランが完成した。
「最初、担当者はこのアイデアの何がすごいのか、正直ピンときていない様子でした。でも、居室が広くとれるということで、すぐに採用いただきました。後日社長とお会いした時に「あのアイデアはすごかったね!」と言っていただけました」と中川さんも苦労が報われたと感じたという。
複雑な形状でも快適な間取りを考案
アイデア力と圧倒的な経験値で日々進化
敷地はY字路の先端に位置したホームベース型の変形地。北東の目白通り沿いが正面となり、中央のエントランスを挟んで左右に部屋が並ぶ構造。北側斜線規制により、右サイドが段状になっている。
外観は、周囲の街並みに溶け込むグレーを採用。同じサイズの窓が規則正しく連続し、バルコニーの突出もないため、スッキリした印象だ。
エントランスを入ると正面にエレベーター、左右に引戸の住戸が並ぶ。引戸とすることで自転車も中に入れやすい。
エレベーターで上階へいくと、広々としたエレベーターホールが現れる。
よく見ると、床には「避難はしご」の表示が。さらに天井の一部がくり抜かれ、蓋でふさがれていることに気づく。そう、ここは普通の玄関ではない。法規上は「避難上有効なバルコニー」なのだ。建築に詳しい人でない限り、ここが玄関ではなく、バルコニーだと気づく人はいないだろう。緊急時にはこの避難はしごを降ろして、下階へと逃げていく仕組みだ。
このウルトラCで広さを確保した1フロアに2戸の住戸。だが中川さんの苦労はこの後も続く。「実は各住戸の間取りにも、とても苦労しました」と中川さんは打ち明ける。
ホームベース型の建物の中央にバルコニー兼エレベーターホールがあるため、左右の住戸はどうしても複雑な形状になる。その制約の中で、ベッドもきちんと置けて、何不自由なく暮らせる間取りをどう実現するか。どこにどれだけの広さの部屋をとり、水まわりをどう配置するか、試行錯誤したという。
「2つの出入口を作ったことで、間取りという面では自分で自分の首を絞めましたね」と中川さんは苦笑い。
悩み抜いた末、中川さんはAからDの4パターンの住戸プランを考案した。
1階から4階の右側のAタイプの住戸は、約37㎡の2部屋構成。中央にキッチンや洗面といった水回りを集めた部屋を配置し、その両脇を居室とする3ゾーン構成。リビングと寝室といった使い方だけでなく、SOHOとして仕事場とプライベート空間といった使い分けにも最適だろう。
左サイドの7階まで続くBタイプは、約34㎡の1LDK。こちらはリビングを回り込んだ先にオープンキッチンを配置した。キッチンは大きな窓に面しており、明るく気持ちの良い場にもなった。その先には落ち着いた雰囲気の個室が控えるといった構成。
このほか、斜線規制に合わせるため面積が絞られたCタイプやDタイプには、専用のルーフバルコニーを設けた。最も狭いDタイプは、居室部分を確保するため、あえてバスタブを置かずシャワーブースのみとした。
募集を開始したFABRIC東長崎、ほどなく満室稼働となり、現在も順調な入居状態を維持しているという。
わずか90分でボリュームプランを出すという、超高速対応で知られる中川さんだが、その真価はスピードそのものにあるのではない。
克服困難と思われる難問にひたむきに挑む精神力と、その解を導き出すアイデア力こそが中川さんの最大の武器だ。そしてその源泉にあるのは、場数を踏んできた圧倒的な経験値だ。
中川さんは手掛けた物件の数だけ、日々レベルアップしている。だからこそ、次々とより良い建物が生まれる。このサイクルこそが中川さんの真骨頂なのだ。
撮影:小野吉彦
基本データ
| 作品名 | FABRIC東長崎 |
|---|---|
| 所在地 | 東京都 新宿区 |
| 敷地面積 | 110.32㎡ |
| 延床面積 | 559.21㎡ |
設計者情報
この建築家が建てた家
この実例を見た人はこちらも読んでいます

大量のコレクションは飾る・納める リノベによって、暮らしも生き方も変わる
「モノが多くてなかなか片付かない」と悩んでいる人はたくさんいるだろう。「いつか整理しよう」と思っていても、なかなか上手くいかないのが現実。夫婦の長年の懸案だった、モノが多いという問題を解決した、リノベーションとは?

公園の緑に包まれる広縁と、ブックカフェのような土間空間のある家
向かいの公園の緑を効果的に取り込み、建築面積が約9坪という制約を感じさせない居心地抜群の住まいをつくり上げた菅家建築計画工房。どの家にも存在する「あるスペース」を省いて誕生した、洒落たブックカフェのような土間空間も必見だ。

思い出とモダン建築が融合するやさしい家。 入居者にも愛される賃貸併用住宅
フレイム一級建築士事務所が設計したこの賃貸併用住宅は、都市部にありながら光と風に恵まれた心地よい住まい。思いを込めて建てた家はずっと大切にしたいし、次世代にも大切にしてもらえたら嬉しい──。多くの施主が抱くそんな願いへの答えも隠されている。

「愛着」と「思い出」を残す 快適性と効率性のバージョンアップ
築45年の立派な純和風建築にお住まいだったIさん。今の建築にはない味わい、懐かしさをまとった建物に深い愛着があったため、建て替えは考えなかったそう。リノベーションをするにあたっても、元の建物の良さはそのまま、使いやすさと居心地をバージョンアップさせることを考えました。

1棟4役? 毎週3時間かけて通いたくなる 富士山の見える別荘
あるときは、家族が休日をのんびり過ごす別荘として。あるときは、社員の保養所・研修所として。またあるときは友人や取引先を招く迎賓施設として。さらには一人集中して仕事に没頭できるプライベートオフィスとしての顔をもつ建物。非日常の高級感と使いやすさを兼ね備えたセカンドハウスを作ったのは、建築家の牧野嶋さんでした。

住戸に挟まれたマンションの一室でも 光が届き、風が抜ける環境をリノベで実現
建築家の四方さんが眺望や周辺環境を重視して購入を決めたのは、リフォーム済みのマンション。すぐにでも住める状態だったが、ライフスタイルに合った空間にすべくリノベすることに決めた。そのまま使えるところは使い予算を抑えつつ、マンションの一室とは思えないほど明るく、心地よく過ごせる住まいができた。

偶然と必然、アートと本棚が織りなす世界で一つだけの空間
O様ご一家は、40代のご夫婦と8才と5才のお嬢さんの4人家族。ご夫婦の仕事の関係上、家にはアート作品と、収まりきらないほど無数の書籍がある。これらすべてを押し入れや納戸にしまい込んでしまうと、探す手間が掛かるし、埋もれてしまうことだってありうる。今回はO邸の設計を担当した建築家の石田さんの偶然と必然の融合により生まれた素晴らしい住まいの過程を伺った。

建物と設備の相乗効果で環境負荷を低減する実験的エコ住宅
建築環境設備分野の博士が施主だという『松河戸の家』は、建築と設備技術の両面からアプローチしたユニークで新しい実験的エコテクノロジーが導入されている。環境負荷を減らしたエコ住宅は、一歩先をゆくこれからのスタイルの一つ。どのような建築的工夫がなされ、テクノロジーが導入されているのか、笹野さんに詳しく話を伺いました。

富士を望む展望風呂!プライバシーと開放感を併せ持つ二世帯住宅
「富士山が見えるから景観を楽しみたい。そして、四季折々の自然を感じながら暮らしたい」というお施主さんの希望を叶えるため、建築家・植木健一さんが二世帯住宅の新たな可能性に挑戦。随所に工夫を凝らした家は、眺望にこだわり開放感がありつつも、プライバシーをしっかりと確保した素敵な家でした。

