ルーツは昔の農家。外とつながる“日本人的な”家づくり

日本人は、エリアで生活する民族だった

「建物の“内(うち)と外のつながり”、みたいなスペースに興味があるんですよ」
勝田無一さんのもとを訪れたとき、真っ先に出た言葉だ。勝田さんといえば、住宅と庭を総合的に設計するスタイルで多くの施主から厚い信頼を得ているガーデナー建築家。勝田さんの興味が“内と外のつながり”に集中し始めたのは約25年前。建築家として15年ほどのキャリアを積んだ後ということになる。

「住宅をつくり続ける中で、日本人の家づくりの発想の源は昔の農家にあると気づいたのです。昔の農家は、建物の内と外の境界が非常にあいまいです。人々は敷地の北側に寄せた家の中で寝食し、南にとった前庭で農作業を行い、縁側で休憩した。内(家)と外(庭)をつなぐ縁側は、日本の風土に合った暮らしを支える重要なスペースでした。夏は縁側の先に水をまいて涼風をとり込み、冬は縁側の板戸と障子で寒気を遮断する。機能的なことだけでなく、交流の場としての役割も大きかったですね。おやつの時間にスイカや干し柿を縁側でほおばる子どもたち。前の道をご近所さんが通りかかれば『お茶飲んでいきなよ』と声をかけ、縁側で世間話を楽しむ大人たち……。ほんの数十年前まで、私たちはそんな暮らしをしていたのです」

食事の支度の際には、収穫物を置いた前庭と土間を頻繁に行き来した。今では、泥まみれの野菜を持ち込み、薪で火を焚くといった作業は屋内で行わないだろう。当時の土間は家の中でありながら半分屋外の扱いだったともいえる。

「トイレもそうですね。今では建物の中が当たり前のトイレは外にあって、人々は用を足すときも内と外を行き来していました」

こうして並べてみると、確かに昔の農家は“家の内と外”の概念が現代の住宅よりずっとあいまいだと気づかされる。

「つまり、かつての日本人は“エリアで生活していた”のです。家の中だけでなく、庭も含めて生活空間。日本人はもともと農耕民族ですから、庭も生活の場とする農家のライフスタイルは日本人の本来の姿だと思います。その感覚は今でもDNAに染みついていて、住まいに屋外空間を求める傾向が強い。そのことに気づいてから、建物の内と外のつながりに興味を持つようになりました」
  • 明治神宮前のオフィス屋上にて/所有するビルの一室をオフィスとして使用中。屋上からは都心のビル群を一望できリフレッシュに最適だが「ここはほとんど物置です」と笑う。気さくで温厚、親しみやすい人柄で、多くの施主から絶対的な信頼を寄せられている

失われた“縁側生活”をとり戻したい

 エリアで生活することを前提とした家づくりが変わってきたのは、戦後の高度経済成長期における住宅の大量生産時代あたりから、と勝田さんは言う。

「法隆寺の五重塔を始め、現存する寺社仏閣には柱と梁を中心とした造りで十分な耐震性を備えた建築物が少なくありません。同様に、昔の家屋は主に柱と梁で構築されていた。しかし、戦後に制定された建築基準法は、壁の役割も重視した内容です」

柱と梁を中心に建物を支える建築物は、屋外とつながる開口部が大きい。反対に、壁という面で支える造りは開口部の大きさに制限が生じ、物理的にどうしても外とのつながりが減ってしまう。

「壁の役割も重視した設計にはたくさんのメリットがあります。でも、外部ときっちり仕切った壁の中で生活を完結するのは欧米的な発想です。その結果、庭も含めた“エリアで生活したい”という日本人のDNAからすると、外とのつながりが物足りないと感じてしまう。そこで、何とかして屋外とのつながりをより多く持てる住宅をつくれないだろうか、と考えるようになったのです」

現代は、法の制定、人口増加・密集など、建築物をとり巻く環境が昔とは大きく異なる。その中で、内と外があいまいにつながる“縁側”のような空間を生活の中にとり戻したい。はっきりとそう思うようになってから、勝田さんの作風はがらりと変わっていったという。
  • オフィスにて/建築関係の膨大な書物に囲まれ、住宅のあり方について語る勝田さん。勝田さんの話は一貫して「日本という土地で、日本人が暮らす」ことに視線が向けられている。先人たちの生活や住まいの歴史をひもとき、日本人が心地よく暮らせる家づくりを探究し続ける

外とのつながりを得る、大胆な2つの手法

だが、昨今の住宅事情では“外とつながる”ことが容易ではない。特に都市部は住宅が密集し、大きな窓をとってもプライバシーが気になりカーテンは閉めたまま。または、宅地が小さく、敷地いっぱいに家を建てると“つながる外がない”のが現状だ。

こうした環境をふまえ、勝田さんは生活に屋外空間をとり込む家づくりの手法として、2つのスタイルを考案した。そのひとつが“囲いの建築”である。

「“囲いの建築”はその名の通り、高さのある塀で家と庭をぐるりと囲ってしまう方法です。塀といっても素材は半透明のポリカーボネートやFRPなど、光を通し、色彩も感じられる開放感のあるものを使います。もちろん上部は開いていますから、風も暖かな太陽光も入ってくる。それでいて、通りや隣家の人目は気にせずにすみ、思う存分“外”を楽しむ暮らしができるのです」

“囲いの建築”の着想を得たのは、日本の住宅街にごく普通に存在するブロック塀だという。
「欧米の住宅で用いられるフェンスは、家や庭が道路から見えますよね。それとは対照的に、日本の塀は敷地内が見えにくい。日本人がこのような塀をつくるようになったのには、いくつかの理由があると考えました」
勝田さんによると、先述のように主に柱と梁で支えるかつての日本家屋は開口部が多く、プライバシーを守るために世間から敷地全体を遮断する塀が必要だったことが理由のひとつ。また、暮らしに屋外が浸透した“エリアで生活する”文化により、庭を“部屋の一部”という極めて私的な空間として捉える感覚も、塀の普及に大きく関わっているのでは、と語る。

「欧米は、たとえ敷地内でも玄関ドアの先は“社会”なんですね。この考え方はホテルや旅館に顕著に表れていると思います。ホテルでは、浴衣のまま館内を歩こうものなら従業員に呼び止められる。宿泊している部屋を一歩出たら、館内であろうとパブリックな場所なのです。でも、旅館では浴衣で館内を歩くのが普通でしょう? これは、館内、ひいては敷地内全体を世間から隔絶した私的な空間と見なしているからだと思います」

言い換えれば、日本人は“身内”と“よそ”の感覚を持つ民族であり、住まいには“身内”の生活エリアをしっかり守る塀が必要、ということだ。ならば、積極的に塀をつくって人目を気にせず暮らせるエリアを確保しよう。ただし、それはこれまでのブロック塀ではなく、光を通し開放感を保つ新発想の塀にしよう。それが、勝田さんが考案した“囲いの建築”なのである。

「外とのつながりを持つために私が積極的に実践する、もうひとつの手法が“インナーテラスガーデン”です。これは家の中に庭のある住宅で、塀の発想で言えば、敷地いっぱいに建てた家の外壁そのものを塀に見立ててしまう。そしてその中に、自由に使える庭もつくり込もうというわけです」

こうして、勝田さんのつくる住宅は25年ほど前から変貌を遂げてきた。反響はとても大きく、著書の出版やメディア掲載のオファーは後を絶たず、施主の方々からも大好評を得ている。
「昔のように家屋の3倍近い庭をとる和風建築は、現代の住宅事情では現実的ではないでしょう。けれど、だからといってあきらめない。知恵をしぼり、先人たちの暮らしに潜むヒントと日進月歩の技術を組み合わせれば、都心部でも、狭小地でも、陽光や風と共に暮らす開かれた住まいができるのです。マンションで生まれ育った世代の方が増えたとはいえ、やはり、日本人には外とつながりたい感覚がどこかに根強くあるのだと思います。そのニーズに応え、現代社会に呼応する新しい日本の住まいをつくっていきたい。私は、そう考えています」
  • オフィスビル前にて/オフィスのビル1階は、勝田さんがオーナーを務めるレンタルギャラリースペース。期間ごとにさまざまな分野の若手クリエイターたちが作品を披露し、彼らの活動のサポートにつながっている。取材当日はフエルト作家の作品の展示・販売が行われており、勝田さんは気さくにあいさつを交わしていた

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