無限の可能性を秘めたシンプルな構造。
多様なスケール感が居心地いいカフェ

いつか自分のお店がやりたいというクライアントの夢を叶えるために建てられたカフェ。建築家の五十嵐理人さんは、カフェとしての使い勝手の良さ、居心地の良さを追求すると同時に、建物のこれからも考えた。壁や窓を全て取り払っても建物は残り、新しい使い方ができるというこの建物がどのように生まれたかを探る。

この建築家に
相談する・
わせる
(無料です)

テーブルのような構造体を重ねて
変幻自在な空間をつくる

広島県広島市宇品。のどかな雰囲気の中で海を見渡せる絶好のロケーションに、コンクリート打ち放しに全面ガラス張りのモダンな建物が立っている。建設中から何ができるの? ギャラリー? それとも美容院? と行きかう人の注目を集めていたこの建物の正体はカフェ。設計したIGArchitects一級建築士事務所の五十嵐理人さんは、「今はカフェですが、実はギャラリーとしても美容院としても、住宅としてでも使用できるようになっているんです」と言う。

その理由はご依頼の経緯に遡る。クライアントであり、現在このカフェの店主でもあるY様はご高齢の女性。カフェの建設は、いつか自分でお店をやりたいという夢を叶えるためだった。ご自身はそんなに長い間お店をやることはないかもしれないとお考えのようだったが、建築物は一度そこに建つと長い間残るもの。Y様から引き継ぐ人が商売替えをする、または住宅としてその場所を使用したいという場合もあるかもしれない。「どのような状況になっても、一度全部壊して建て替えるのでなく建物は残ればいいなと思いました」と五十嵐さん。建設にあたり2社が参加したコンペにて、五十嵐さんはY様のご要望はもちろん、この思いを反映したプランを提案し、見事勝ち取った。

「今あるガラスや壁を全て取り払っても建物は残る」という一見不可能に思えることを可能にしたのは、「テーブルストラクチャー」と呼ぶ構造だ。天板の大きさや足の長さが違うテーブルを重ねたり並べたりするイメージで、建物の枠組みをつくる。カフェは4つのテーブルで構成され、一番低いテーブルが床を担い、他の3つのテーブルが天井になっている。当初2階建てにする案もあり、結果的には1階建てになったが建物の枠としてはその2階建ての案が色濃く残ったものになった。だからいずれ別の用途に使うことになったとき、下から2枚目の天板を床にして2階建てにもできるのだそうだ。そればかりか、理論上は上にテーブルを重ねてビルのようにしたり、横に重ねて面積を広くすることも可能。壁の位置やガラスの位置は自由に変えられるし、設備や電気の配線、配管も構造体の制限なく自由にメンテナンス、更新が可能になっている。

テーブルストラクチャーによりできた空間は、Y様が理想とする店内の雰囲気づくりにも役立っている。

Y様のご要望のひとつが「客席から海が見えること」。海沿いに立つカフェだが、堤防があり平屋では海が見えない。そこで、着席した状態で海が見えるよう、床を担うテーブルは1mほどの高さに設定。お茶をいただきながら雄大な景色を楽しめるようになった。

もうひとつが「店内に木を植える」というご要望だ。しかし、木の高さに合わせ一般的な箱型の建物をつくろうとすると、ものすごく天井が高く広い、カフェとしてはプライベート感の足りない内部空間になってしまう。その点でも、テーブルを重ね、カフェの中心に植えた木の真上まで段階的に天井を上げる手法が有効に機能している。木のために必要な高さは確保しつつ、落ち着いた時間を過ごしてほしい客席は一番低い天井の下に設置することでそれが可能になるのだ。

テーブルストラクチャーは複雑に思えるかもしれないが、その実は全て垂直水平の展開でシンプルな構造。「費用を抑えるという意味でも、シンプルにつくりたかったのです」と五十嵐さん。素材は打ち放しのコンクリートとガラス、居心地の良さや建物の性能を重視しガラスは全てペアガラスにすると決めた。が、ペアガラスはアルミサッシなどの枠を付ける必要があるため余計な費用がかかる。そこで枠をつけずに設置できるよう緻密に計算しつくりかたを工夫、コンクリートに直接ガラスを取り付ける構成にした。これも平面で構成されたシンプルさゆえにできたことだそうだ。カフェのオープン後のことも考慮した。大きい空間になればなるほど、空調などのランニングコストがかかる。シンプルな構造は、トータル的な費用の抑制にも一役買っている。
  • それぞれ独立した4つのテーブルを重ねた構造。床面の下には補強のための柱も加えられている。着想はジャングルジムから。「子どもがジャングルジムをいろいろなものに見立ててそれぞれの遊び方をするように、人の解釈でどんな使い方にも変身できる建物にしたかった」と五十嵐さん

    それぞれ独立した4つのテーブルを重ねた構造。床面の下には補強のための柱も加えられている。着想はジャングルジムから。「子どもがジャングルジムをいろいろなものに見立ててそれぞれの遊び方をするように、人の解釈でどんな使い方にも変身できる建物にしたかった」と五十嵐さん

  • 重いはずのコンクリートの屋根や階段が、軽やかにつくられている。
シンプルな構成でコストとデザイン性のバランスを取りながら
重いものが軽やかに感じられる不思議な違和感をデザインしている。

    重いはずのコンクリートの屋根や階段が、軽やかにつくられている。
    シンプルな構成でコストとデザイン性のバランスを取りながら
    重いものが軽やかに感じられる不思議な違和感をデザインしている。

  • 駐車場からエントランスを見る。宙に浮いたような階段が軽やかな印象を与えている。一番低い位置の屋根が大きく外に出ることで庇のような役割を果たしている。程よく太陽光を遮るため、客席では眩しさを感じない

    駐車場からエントランスを見る。宙に浮いたような階段が軽やかな印象を与えている。一番低い位置の屋根が大きく外に出ることで庇のような役割を果たしている。程よく太陽光を遮るため、客席では眩しさを感じない

  • 素材の基本はコンクリートとペアガラス。ガラスの間の黒い部分は、ペアガラスの縁に入っている保護剤が直射・紫外線に弱いため貼ったカバーで、サッシではない。コンクリートは光を反射しやすいよう、つるつるとした仕上げにした

    素材の基本はコンクリートとペアガラス。ガラスの間の黒い部分は、ペアガラスの縁に入っている保護剤が直射・紫外線に弱いため貼ったカバーで、サッシではない。コンクリートは光を反射しやすいよう、つるつるとした仕上げにした

  • 店内の中心に植えられた木に向かって天井が段階的に上がっている。上に行くほどガラス張りの面積も狭まり、建設における費用と、空調などのランニングコストのバランスを取るように計画している。床を上げたことにより、店内からは道路の向こうに広がる海を楽しめるようになった

    店内の中心に植えられた木に向かって天井が段階的に上がっている。上に行くほどガラス張りの面積も狭まり、建設における費用と、空調などのランニングコストのバランスを取るように計画している。床を上げたことにより、店内からは道路の向こうに広がる海を楽しめるようになった

屋外から室内へ、再び屋外へと向かう意識
曖昧だからこそ際立つ居心地の良さ

Y様のカフェの中心に植えられたシンボルツリーは常緑モミジ。鉢植えを置くことはよくあるが、床を貫いて地面に植えることはめずらしい。落葉せず、樹木そのものに体力がある品種を数多くピックアップし、Y様が選んだ品種なのだそう。

木の高さに合わせ、室内空間は一番高いところで約4mある。一般的な2階建ての吹き抜けほどのスケール感で開放的だ。逆に客席があるエリアの天井はぐっと低く、落ち着いて食事やお茶を堪能するのにちょうどいい「篭もり感」があるが、窓の外に目を向ければ庭の植栽越しに海が見え、これまた気持ちがいい。営業時間の大半を占める昼間はあらゆるガラス窓から豊かに光が入り、その光がコンクリートを反射して一番上の天井は天窓が開いているのかと錯覚するほどに明るい。

カフェに入店したお客様は、室内の中心へ入り込むほど空間は開放的に、さらに木も植えられていて屋外を感じる。客席のある窓際へ進むと、外が近づいているはずなのに空間はプライベート感があるものに変化、しかし窓の向こう側には本当の屋外の風景が広がっている…。なんとも不思議な体験をすることになるだろう。

この不思議な感覚も、もちろん五十嵐さんの意図するところだ。童話に出てくるガリバーやアリスのように、自分が空間の中でいつのまにか大きくなったり小さくなったり、スケール感をグラデーションで変化させたいという狙いがあった。「そういうスケールの感じ方を少し工夫するだけで、空間がちょっと新しいものになったりするんです」

日が落ちてからは、少し暗めの照明でムードがある店内へと変身する。店内ではライトの数が少なく、そのかわり建物のガラス張りの部分を囲むように、屋外にずらっと並べてライトを設置した。この屋外の光が、太陽光と同じようにコンクリートに反射し店内を照らす。

店内にライトが少ない理由は「目立った照明があると、どうしてもその下に客席を設けなければなりません。室内と屋外が曖昧な空間のなかで、客席が固定されてしまうのはコンセプトに合わないですよね」と五十嵐さん。とはいえ、これから店内をもっと明るくする必要が生じた場合には、天井上のライトをいくらでも増やせるようにしてあるのだそう。建物をその時々に合わせ、長く使用するという五十嵐さんのこだわりは、室内空間の使い勝手にも生かされている。

これから店舗や家を建てるとき、クライアントにはぜひその過程も楽しんでもらえるように、そのプロセスもデザインするという五十嵐さん。予算はなくてもデザインされた空間ですごしたい、妥協することなく既製品ではないオリジナルのものを取り入れたいという願いを持つ人は多くいる。予算が少ないから妥協したり、あきらめてしまうのはもったいない。どんな人でもデザインを望むなら、そんな人の力になりたい。費用は限られているかもしれないが、その中でひとつひとつご要望を叶え、クライアント含め関わる人が楽しく、より良いものにしていくのが仕事だと言う。「だからこそプランはもちろん模型やスケッチ、CGも納得いくまでつくりますし、ご要望に関して『こうしたらもっと良くなりますよ』『でもこうしたいんです』というキャッチボールをクライアントとします。建物やクライアントのことを本気で考えているから、もっと良くなると思ったら、たまには喧嘩もする。でもクライアントにもその本気が伝わるから、そうやってともにつくった建物を最後はとても喜んでいただける。それが楽しいんです」。人に恵まれ、構造家の方や設備の方をはじめ本当にいろいろな方に協力、助けてもらいながら建物をつくっていると思っている。「ひとつのチームのような感じで、クライアントもその一員です。そうすると皆でもっと良くしようと、スパイラルアップで建物はどんどん良くなります」と五十嵐さんは語ってくれた。
  • 見上げると天井にたくさん照明がついている、という状態を避けるため客席部分の照明はごくわずか。テーブル上のダウンライトも控えめな印象にした。日中、夕暮れともに光の入り方に関して模型や3DのCGでシミュレーション、実際の照明器具を購入して実験を繰り返したうえで建物の凸凹やライトの位置を決めた

    見上げると天井にたくさん照明がついている、という状態を避けるため客席部分の照明はごくわずか。テーブル上のダウンライトも控えめな印象にした。日中、夕暮れともに光の入り方に関して模型や3DのCGでシミュレーション、実際の照明器具を購入して実験を繰り返したうえで建物の凸凹やライトの位置を決めた

  • 写真奥の北に配されたソファ席背後の窓のうち、一番左側のものが開く。この場所は南北に風が流れるため、換気時はこの窓と対面にあるエントランスを開ければ、風が抜けるようになっている。夕暮れ時をすぎると、下から当てられたライトによる樹形や葉の影が美しく映える

    写真奥の北に配されたソファ席背後の窓のうち、一番左側のものが開く。この場所は南北に風が流れるため、換気時はこの窓と対面にあるエントランスを開ければ、風が抜けるようになっている。夕暮れ時をすぎると、下から当てられたライトによる樹形や葉の影が美しく映える

  • お客様との距離を近く感じるようオープンキッチンにした。壁面は木材で、黒に空や海を思い起こす青を混ぜた塗料で塗装。ここにも外と中を曖昧に、というこだわりがある。「ぱっと見わからないかもしれないけれど、こういう小さなものの積み上げで完成後の建物の雰囲気がガラッとかわります」と五十嵐さん

    お客様との距離を近く感じるようオープンキッチンにした。壁面は木材で、黒に空や海を思い起こす青を混ぜた塗料で塗装。ここにも外と中を曖昧に、というこだわりがある。「ぱっと見わからないかもしれないけれど、こういう小さなものの積み上げで完成後の建物の雰囲気がガラッとかわります」と五十嵐さん

  • 日が落ちてからは、建物の外側に設置したライトによって、光と影の表情がよりドラマチックなものに

    日が落ちてからは、建物の外側に設置したライトによって、光と影の表情がよりドラマチックなものに

  • 写真右手前、海沿いにあるカフェは街並みに馴染みつつも存在感を放つ。角地にあり道路と2面で接しているため、あえてどこからでも敷地に入れるような雰囲気をつくった。海側の植栽は店内から外を眺める人だけでなく、道行く人の目も楽しませている

    写真右手前、海沿いにあるカフェは街並みに馴染みつつも存在感を放つ。角地にあり道路と2面で接しているため、あえてどこからでも敷地に入れるような雰囲気をつくった。海側の植栽は店内から外を眺める人だけでなく、道行く人の目も楽しませている

撮影:矢野紀行

基本データ

施主
Y様
所在地
広島県広島市宇品
敷地面積
273.5㎡
延床面積
55.79㎡
予 算
3000万円台