
建築家が一度は止めた崖の上の土地に
ここでしかできない、豊かな3層の家が
感性の合う建築家とじっくり家をつくりたい
二転三転した末にたどり着いた傾斜地
この家をつくったのは、住宅を中心に設計を手掛ける岩瀬英志さん。Fさんとの出会いは、土地を持つ人が条件を提示し、建築家が案を添えて応募するマッチングサイト。募集を見た岩瀬さんが応募し、提案したプランが選ばれた。
そのとき提出したのは、コンクリートの四角い箱の中に、スキップフロアのように床が入る案だった。敷地は細い路地からアプローチし、その反対側に大きな開口が取れる土地。路地側の外観は閉じ、中に入ると大きな窓が広がる。のちに馬込で実現することになる骨格は、この最初の一案にすでに含まれていた。
ところが、その土地の契約は成立しなかった。案は行き場を失った。
普通なら、ここで話は終わる。だがFさんは岩瀬さんのもとを離れなかった。土地は二転三転するも、常に岩瀬さんに相談が来たという。
「自分の感性と合う建築家と、じっくり納得の家づくりがしたい方なのだと感じました」と岩瀬さん。
やがてFさんが自ら見つけてきたのが、馬込の土地だった。
ここまですでに、最初にプランを提出してからも、長い時間が過ぎている。普通ならどんな土地であっても、「すぐに設計に取り掛かりたい」と思うだろう。
しかしこの土地を見た岩瀬さんは、「ここはやめた方がいいですよ」と率直に伝えたという。
傾斜地で、購入時には古家が建っていた。解体してみるまで地中の状態が分からない。高低差が2mを超える可能性があり、いわゆる「がけ条例」にもかかる。地下に近い部分をつくる計画は、設計して見積もりを取るまで正確な費用が読めない。いくらかかるか分からないまま進めるのは勧められない。安請け合いせず、施主のことを考えた誠意あるアドバイスだった。
それでもFさんは、この土地を買った。搬入の難しさや崖の条件があるぶん、一般的な相場より安かったと見られる。その差額を建物に回せると判断したのではないか、と岩瀬さんは振り返る。
こうして、馬込での家づくりがスタートする。岩瀬さんは、この扱いにくい土地をどう読んだのだろうか。
開くべき方向と、閉じるべき方向
土地の制約から生まれた3層のリズム
一方、道路側は細い路地で、隣家がすぐそこまで迫っている。開くべき方向と、閉じるべき方向。それはこの土地を訪れた時点で、すでに決まっていた。
もうひとつ、この敷地には特徴があった。道路面より土地が低いのである。
普通の家であれば、玄関を入ってから上へ上がっていく。だがこの土地では、玄関のレベルを基準に、下がるフロアと上がるフロアの両方をつくることができる。「普通の家とは違う構成にできる」と岩瀬さんは考えた。
こうして、3層構成が決まった。玄関は2層目に。入って上へも下へも行ける。隣家から見れば地上2階建てに見えるが、内側にいる人間にとっては、入った場所が真ん中という家である。
では、どの部屋をどこに置くか。ここで効いてきたのが、高さの制約だった。建物全体の高さは法的に抑えられてしまう。その中で最も天井を高く取れるのは、中間の層だった。
だから、2層目にリビングを置いた。12畳の空間は1.5層分の高さを持ち、天井は最高部で約4mに達する。3層目にあるダイニングキッチンは、一般的な天井高だ。取れるボリュームから逆算して、部屋の居場所を決めていった。そして1層目には、寝室と水まわりを配した。
実は、岩瀬さんの最初の提案ではリビングとダイニングキッチンは隣接していた。分けたのは、Fさんの要望である。「別々の空間にあったほうが面白い」と考えたのだという。
結果として、この家では階を移動するたびに空間の性格が変わる。こもる、開く、こもる。そのリズムが、縦に積み上がった。
設計の途中では、思わぬ事態も起きている。杭打ち機が、土地まで入れないことが分かったのだ。
当初Fさんは、すべてRC造でつくりたいと希望していた。だが重機が入らなければ杭は打てない。岩瀬さんは上の層を木造として建物を軽くし、杭を必要としない計画へと切り替えた。RC造と木造を組み合わせたこの家の構造は、そこから生まれている。
制約は工事にも及んだ。大型の生コン車が入れず、小型車で少しずつ資材を運ぶほかなかった。
土地が呼び込んだ制約が、そのまま構造を決める。それでも、最初に描いた全体の構成は、大きく変えることなく収まった。
高台の抜群の眺望に、囲われた露天風呂
外観からは想像もつかない内部
住宅街の細い路地を進むと、突き当たりに板張りの箱が現れる。
外壁はレッドシダー。窓はほとんど見当たらない。だが窓のない面は、何もなければのっぺりとしてしまう。だからこそ素材感のあるものを張りたかった、と岩瀬さんは言う。板の一枚一枚が陰影をつくり、大きな面に変化を与えている。
その下で、コンクリートの壁が緩やかに波打っている。
前面の道路は細く、行き止まりだ。車は一度奥へ進み、切り返してバックで入れるしかない。その軌跡を描いてみると、建物をそのまま置いたのでは駐車できないことが分かった。どこかを削る必要がある。岩瀬さんは斜めに切る案を出したが、Fさんが「曲線にできないか?」と言ったことから生まれたフォルム。曲線であっても車の軌跡は収まり、直線で切り落とすよりも建物は柔らかく見える。機能上の要請から出発した形が、この家の顔になっている。
その駐車スペースを、金属の庇が深く覆う。できるだけ薄く見せたいという要望に応えたもので、鋭く伸びる一枚の板のように見える。
玄関を入ると、天井の低いややこもった場所を通り、その先にリビングが広がる。黒っぽく落ち着いた雰囲気の外観から一転、白と木の柔らかい空間。
視線を南西面に向けると、そこには大きな開口が現れる。
高台の上から、屋根の連なりの先まで視界が抜ける。住宅密集地に、抜群の眺望が生まれた。
実はこの開口には防火の要件がかかっていた。眺望を得ながら法規を満たすため、岩瀬さんは大型のスチールサッシを提案している。黒く細い框が空を分割しガラスが嵌まる。制約から出発した窓が、この家で最も雄弁な要素になった。
3層目へは、壁に沿った階段を上がる。
この階段は当初、素直な階段室として計画されていた。変えたのはFさん。
大きな窓をそのまま開いてしまうと、外から室内が見えすぎる。それを気にして、「壁を窓に少しかぶせたらどうか?」と言い出したという。
せっかく開けた窓を、壁で閉じる。常識からすれば妙な話だ。それでも岩瀬さんは「面白い!」と考え、その壁に沿わせる形で階段を配置した。視線を遮るためだけに立てれば、ただ邪魔な壁になる。そこに階段を寄せたことで、壁は上階へ向かう動線を包む面に変わった。開放的だった場所から、再び包まれる場所へと変わる。天窓からの光を細かなルーバーで柔らかく拡散。天空への階段といったところだろうか。
たどり着いた先は、ダイニングキッチン。造作のキッチンは天板とシンクを一体のステンレスとし、崖側を向いて据えられた。一人で使うのだから、壁に向かうより景色を見ながらのほうがいい、という判断である。
鉄骨のスケルトン階段が、壁から持ち出されて宙に浮く。奥に広がるのが寝室のゾーンだ。扉で仕切られてはいない。一人で暮らすのだから閉じる必要はない、という判断だった。
逆サイドはそのまま水まわりへ続き、洗面もトイレも閉じていない。突き当たりのシャワーブースには、天窓から青みを帯びた光が落ちてくる。
浴室の開口は、全開にたたみ込むことができ、そのまま外へ床がフラットに続いていく。浴槽は床に掘り込まれ、縁の立ち上がりがない。視点が下がるぶん、上方向の広がりが強調される。まるで露天風呂だ。
外といっても、三方はコンクリートの壁に囲まれている。この壁は意匠のために立てたものではない。崖上の隣地を支える土留めとして、構造上必要だったものだ。それがそのまま、誰の視線も届かない囲いになっている。行き止まりの道の奥で、さらに一層下がった場所。窓を開け放っても、誰にも見られることがないのだ。
「窓が見えない方が美しい」と岩瀬さんは言う。
窓は光を取り込み、景色を見るために欠かせない。だが外観にも内観にも、デザイン上はノイズになり得る。ならば、直接見せずに光を取り込めばいい。この家では、壁の側面から、天窓から、光が入ってくる。閉じているように見えて、暗いところがない。
外観からは想像もできない内部空間。それは、デザインも眺望も明るさもすべてがそう。馬込の住宅街に、こんなにも豊かな空間が広がっているなんて、誰が想像できただろう。
Fさんは、当たり前の提案では喜ばない人だった。だからこそ大変だけどやりがいもあった、と岩瀬さんは振り返る。新たな要望の出現と、それに対する提案の繰り返しは、竣工まで、気づけば足掛け3年にも及んだ。それでも「楽しかった」と語る岩瀬さん。施主と二人三脚でつくり上げた実感があるからなのだろう。
この土地と、この施主だからこそ成立した。ここと同じものを、他でつくることはできないだろう。でも、岩瀬さんは、その土地、その施主に合った最適な解を見出してくれる。
撮影者:中村 絵
間取り図
基本データ
| 作品名 | 馬込の家<都市型崖地 眺望を活かすRC+木造住宅> |
|---|---|
| 所在地 | 東京都大田区 |
| 敷地面積 | 103.00㎡ |
| 延床面積 | 92.94㎡ |
| 施主 | F邸 |
設計者情報
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