
景観に溶け込む住まい方、
コンセプトは“自然との一体感”
ご主人の気持ちを動かしたライフスタイルの提案
それでもなお、マイホームの購入を夢見たご夫人は、家を購入するにあたり誰しも疑問に感じる、土地の購入方法やハウスメーカーの選び方などを、県外の建築会社に勤務していた兄、井口氏に相談していたそうだ。当時はまさか自分が妹夫妻の家を建てることになるとは思っていなかったそうだ。
家造りに前向きなご夫人に対し、当初、ご主人は全く気乗りしない様子…。北海道の大自然の中で育ったご主人は、イマドキの家を建てることに全く興味が湧かなかったとのこと。井口氏はK夫妻と共に、土地・新築戸建・リノベーション向きの中古住宅を見てまわったが、ご主人の心が動くような物件には出会う事ができなったという。
そんなことが数年続いたが、以前から気にかけていた見晴らしの良い土地を譲って貰えることとなったため購入を決断したという。またそれが、偶然にも井口氏が建築家として独立を決めたタイミングと重なったことから、K邸の家づくりに携わることとなったという。
「タイミングが少しでもズレていたら、この家は存在していなかった。」と井口氏。そうして動き始めた“偶然が生んだ自然と対等に暮らす”をコンセプトとした家造りが始まる。しかし、まだご主人の気持ちは硬かったという。
せっかく建てるのだから、ご主人にも家づくりを楽しんでもらいたいと考えた井口氏は、土地の購入が決まった後、「街から遠いこの場所を大人は不便だと思うかもしれないが、それはあくまでも大人の考えでしかなく、“坂道を登って学校に通い、自然の中で遊ぶ”そんな素晴らしい体験が得られる環境は、子供たちにとって利便性以上に価値があるのではないか…。」と、K夫妻に話をしたとのこと。そして、この話がきっかけとなり、ようやくご主人の気持ちも家づくりへと動きはじめたそうだ。
これはまさに、井口氏が家を建てる際に軸としている“ライフスタイルの提案”である。
施主のK夫妻からの希望は、街並みを見下ろせる眺望を活かすこと、朝日が入る収納たっぷりのキッチンの2つのみであったという。そして井口氏はこれを踏まえ “自然との一体感”をコンセプトに設計図を描き上げたそうだ。
「家というのはそもそも、“個人の所有物”であるとともに、“街の一部”でもある」と、井口氏。
家は建った瞬間からその街の風景の一部となるため、景観を壊すような家は周囲から浮いてしまう。しかも今回購入した土地に建てると、隣り合って建つ民家からの眺望を遮ってしまう…。
「その民家は、眺望を気に入り別荘として購入したとのこと…。ある日、別荘の目前に家が建ち視界が悪くなったらどうだろうか?おそらく、持ち主は手放したくなるのは想像するに容易く、また視界の遮られた住居はなかなか買い手がつかない。すると人が減り、この街そのものが寂しくなる…。」
このように話す井口氏は、自らが設計する家だけでなく、街全体の景観や住み心地にまでを考えK邸を設計した。そして生まれたのが“内と外の区切りがない”敷地全体を家のように感じられるK邸であった。
心地よく住まうため、気候と眺望がリンクした半地下
自宅に多くの人を招き結婚式などの儀式を行っていた昔の家屋は、ハレとケの空間に分けられていたが、核家族化した現在は、リビングであっても自室であっても基本的にはケの空間となっている。
そんな伝統的な世界観を取り入れたK邸は、寝室などの個室や水周りといった人に見られたくないケのスペースと、ポーチやリビングといったハレにあたるセミパブリックのスペースに分けられている。「自然溢れる情景を生かしたオープンな家にしたかった。しかし、プライバシーがなくては困る…。そこで、パブリックとプライベートスペースとを明確に分ける事にした」とのこと。
そうした、この家の最大の特徴は、外と中の仕切りが非常に曖昧になっていることだ。通常玄関など屋内の壁には白いクロスを貼るのが慣例だが、K邸の玄関の壁には外壁で用いた杉板が張られ、そのまま繋がるよう設計されている。
また、K夫妻が以前住んでいた家では、家族や知り合いが玄関ではなく縁側から出入りしていたということから、玄関の間口を広くとり縁側のような雰囲気をもたせている。カーポートも一般的なものではなく、来客を想定し自由な軒下空間として使えるパブリックスペースにするなど、オープンなつくりだ。
「将来、自宅でカフェをやれたら嬉しい。」という漠然とした夢の話しから、井口氏はまさにK邸にカフェのような居心地の良い空間を作り上げた。
それは正に「ハレとケ」による空間づくりだからこそ、改装せずともそのままカフェとして使うことも可能なのである。
竣工当時、一般的な住居とは異なるこれらの設計にK夫妻が戸惑ったのは言うまでもない。
しかし今ではその軒下空間で朝食やバーベキューを楽しむなど、この家の使い勝手を理解してくれているとのこと。多くの場合、図面から生活シーンを想像するのは難しいが、暮らしてみると建築家が携わる意味を理解できるはずだ。
眺望を配慮した発想から紡がれる物語
隣の民家からの眺望をなるべく遮らず、なおかつK夫婦が希望する眺望も叶えたい。そんな両立が難しい願いを叶えたのは半地下という発想だった。
豪雪地帯である長野県は、冬季地面が凍結してしまうため、建物の基礎や給水管は凍結深度よりも深いところに設置する義務がある。そのためK邸も基礎を掘らなくてはならなかったが、そこで思いついたのが半地下の存在だ。床の高さを下げる事で建物の高さを押さえることができるため、隣からの眺望を確保することができたのだ。
「地上から家を建ててしまうと、目前にそびえる樹木の葉っぱに眺望を遮られてしまうが、そこに遮るものがない半地下であれば、眼下に広がる街並みを楽しむことができる。」と、井口氏。
そのアイデアにより、寒い地域ならではの建築方法と近隣への配慮、そして眺望といった様々な条件がすべてクリアになったのだ。
そして子供が4人と、多忙を極めるご夫人に少しでも快適に過ごしてほしいと、キッチンの側にウォークインクローゼットを設置。雑然となりやすい子供達の持ち物などをキッチンの近くに置いておくことで、スムーズな動線を確保している。
また薪ストーブは、松や杉といった近隣で拾える木材を使用できる国産のストーブを導入した。これは燃料が安価なだけでなく、子供たちが薪を拾いに行くといった貴重な経験のきっかけにもなるからだ。
子供たちが大人になったとき、きっとその体験は貴重な宝物になるはずだ。そんな井口氏の願いが込められたK邸は、環境に寄り添い変化していくだろう…。月日が経ち、子供たちが将来巣立った後、本当にカフェになったら…そんな素敵なストーリーを予想させる、暖かい家である。
基本データ
| 家族構成 | 夫婦 |
|---|---|
| 施主 | I邸 |
設計者情報
この実例を見た人はこちらも読んでいます

住宅街の中、完璧なプライベート空間を実現 家を覆う要塞の中には、緑豊かな中庭が
「外から見られたくない」「自分たちだけの空間が欲しい」とお望みだったクライアント。建築家の稲田康紀さんは、家をすっぽり壁で覆うことでその希望を完璧に叶えた。しかし内部空間は閉塞感が感じられず、明るく開放的。外観と内部で正反対のイメージを持つこの家はどのようにしてできたのだろう。

閉じたファサードの先に緑豊かな洗練空間。時間と空間の「レイヤーを重ねる家」
建築家の八田政佳さんが手がける家は、デザイン性と住み心地のよさを両立させていることが大きな特徴。重厚感漂うファサードの先に、緑あふれるくつろぎの空間が広がるM邸もその1つ。日常を豊かにする、時間と空間のつながりを意識した設計も必見だ。
-1-640x428.webp)
光と風が心地よく通る!傾斜地を生かした「土間のある家」
ずっとマンション暮らしだったこともあり、憧れの一軒家を建てることを決意したⅯさんご夫婦。希望したのは、趣味の革細工や裁縫をするためのワークスペースと外につながる庭がある家である。購入した土地は、東側に位置する川に向って緩やかに傾斜する敷地。設計を担当した平山教博さんがトライしたのは、土地の利を生かし、光と風が心地よく通る家づくりだった。

密集地×狭小地でも抜群の開放感。 大人が憩える、土間と吹抜けのある家
横浜の高台に佇むF邸は、青空を望む吹抜け空間でゆったりとくつろげる住まい。建物に囲まれた狭小地で土地のポテンシャルを見抜き、大人が憩える快適空間をつくったBATTIRI DESIGN(バッチリデザイン)金刺久順さんの設計の魅力とは?

まるで森の中にいるよう。 開放的な空間から庭を楽しむ家
個性的な形をした敷地、木々に囲まれた環境。この土地の魅力を最大限に生かした家を建てたい。そんな施主様の希望を最適解といえるプランニングで叶えた建築家の伊原洋光さん、みどりさん夫妻。ご要望を的確にクリアしつつ唯一無二の空間をつくる手腕は、おふたりの感性と緻密さによるものだった。

中にこんなにも豊かな空間があったなんて! 外観からは想像もつかない開放感の洗練邸宅
「中にこんなにも豊かな空間があったなんて」。この家を訪れた人は、誰しもこんなギャップに驚くはずだ。「南向きの大窓」と「プライバシー確保」という相反する難題。建築家・大場浩一郎氏が導き出したのは、光を独占する「中庭」という答えだった。窓のない外壁と高い塀で、視線を遮りつつ圧倒的な開放感を得るその設計力。カーテン不要とも思えるほどの自由な暮らしを実現した、本質をつく家づくりの軌跡を辿る。

10坪のマンション、可動家具で大変身。秘密は「四次元設計術」
築38年、わずか36㎡のマンションをリノベーションし、自宅+仕事場+モデルルームとしてフル活用している、H2DO一級建築士事務所の代表・久保和樹(くぼ・かずき)さん。昼間は2人のスタッフと働く仕事場が、夜には妻と暮らす生活空間へ。さらに可動式の家具を動かすことで多彩なスペースが次々と生まれる、驚きの1室だ。

狭小でも明るくほっこり 1階と2階が緩やかにつながる家
深い庇に切り取られた豊かな緑が美しい広々バルコニー。木のぬくもりを感じる開放感抜群のリビング。狭小地であることを感じさせない、居心地の良い住宅を設計したのは、ESPAD環境建築研究所の藤江保高さん。狭小・ローコストという難題をクリアし、家族4人が快適に暮らせる住まいの秘密に迫る。

建築家が自分のために設計!四季を楽しむオーナー邸付き賃貸住宅
オーナー邸付きの賃貸集合住宅は珍しいものではない。だが、この住宅のオーナーは設計者である渡辺 仁さん。つまりオーナー邸は“建築家の自邸”なのである。渡辺さんは自分たちと入居者双方のプライバシーを確保し、快適さとデザイン性を両立。完成した住空間には、建築のスペシャリストならではの発想が満載だ。
