
「スラー」のように母屋と響きあい、
豊かで楽しい暮らしを奏でる小さな離れ
成長した子どものために
母屋の隣に離れをつくる
当初、母屋を手がけた工務店に相談するも、スケジュールや諸条件が折り合わなかった。そこで新たに設計を依頼したのは、施主と建築家のマッチングサイトで出会った「icai architects」の猪飼洋平さんだった。
今やマッチングサイトを介した出会いは珍しくないが、今回は初回提案から正式依頼までのスピードが非常にスムーズだったことに驚く。何しろ、複数の建築家がエントリーする中、猪飼さんのプランは初回プレゼンが終わるやいなや、すぐに正式な依頼に至ったというのだ。
いったい何がそんなにSさんに響いたのだろうか。完成した離れをご紹介しながら猪飼さんの設計の魅力を探っていこう。
既存の母屋は「環境」の一部
寄り添いあい、シンクロするデザイン
その思想が表れている要素が、母屋の個性を引き継いだ「白い外壁」と「正方形に近い平面形状」だ。母屋は2階建て、離れは平屋とボリュームこそ異なるものの、シンクロするデザインで2棟の関係性を感じさせ、お互いの存在があって初めて完成する1つの風景をつくり出している。
猪飼さんはこの外観デザインに、「子が暮らす離れ」というテーマに沿った素敵な仕掛けも施している。屋根は母屋のトンガリ屋根を模してデザインし、さらには棟木の位置をずらして、母屋側に重心を傾けているような印象に仕上げたのだ。
子どもが親に寄り添うような愛らしさを感じさせるこの小さな細工に気づいたとき、胸いっぱいに広がってくるのは何ともいえない幸福感。「2つで1つ」の佇まいが与えてくれる温かな感情は、初回提案のときからSさん夫妻の心をつかんだに違いない。
室内は、離れならではの豊かさを追求
ディテールにも「その家族らしさ」を込める
まず、間取りとしては約30㎡のコンパクトなワンルームだが、「ゆとりある空間」という要望に応えるために水まわりはコンパクトに集約。壁も必要最小限に抑え、できるだけ広い居住スペースを確保した。
その上で、南の庭が見える窓で視線の抜けをつくり、高さの異なる2つのロフトも設置して、吹抜けの勾配天井を計画。天井が高く、上にも横にも広がりを感じられるのびやかな開放感が心地いい。
これだけだとがらんとした単調な空間になりがちなのだが、内装は木梁や杉柱を現しにして有機的な温かみを添えており、単調とは無縁なところがこの離れの魅力の1つ。室内に入ってすぐの造作のダイニングテーブルも大きな役割を果たしていて、カウンターのように細長い形状でスペースを緩やかに仕切ると共に、シンプルな空間に奥行きを創出。このテーブルがあることでベッドへ向かうときにぐるりと回り込む動線も生まれ、ワンルームとは思えない豊かな空間体験をもたらしてくれる。
南の庭側にはSさんと猪飼さんが一緒にDIYでつくったデスクや、プロジェクターで映画などを投影できる大きな白壁があり、「ここはワークスペース」「ここはリビング」とイメージできるのも過ごし方を丁寧にシミュレーションしたプランの賜物。上方のロフトも収納だけにとどまらず、音楽を学んでいるお子さんが腰かけて楽器を練習したり、友人が泊まるときのベッドスペースにしたりと多彩な使い方ができ、ここでの暮らしが楽しみになってくる。
窓の計画にも心を砕き、母屋の白い外壁に面した西側には高窓を設け、東から差す朝日が反射して入り込むようにプランニング。窓越しの景色が母屋の外壁という条件はネガティブになりがちだが、反射光を生かし、採光という機能に昇華させた形だ。インテリアの仕上げには、テキスタイルデザイナーにオーダーした手染めのピンク~白のグラデーションのカーテンで上品な華やかさをプラス。空間、家具、ファブリックをトータルでコーディネートし、離れならではの独立した世界観を生み出している。
ちなみに南の地窓から西の高窓まで、複数の窓が母屋に向かって高くなるように配置したことにも意味があり、「母屋へ寄り添う佇まいを室内でも表現してみました」と猪飼さん。
猪飼さんはこうした2棟の関係性を音楽用語の「スラー」(2 個以上の音符の音をなめらかに続けて演奏すること)になぞらえ、この離れを「Slur House」と名付けた。つかず離れずの親子の距離感を建築で表すセンスもさることながら、「その家族らしさ」が詰まった豊かな空間をつくり上げようとしてくれる猪飼さんの温かな目線が印象深い。
独自のセンスとプロの知見で
要望にプラスアルファを加えた提案を
ここで大事なのは相手が明言していないのに、猪飼さんが「感じ取った」ということだ。お子さんが音楽を学んでいることを知り、「ロフトに腰かけて楽器を練習したら気分転換になるのでは」と、ゆったり座れるロフトを計画したことや、建築に造詣が深いSさんにDIYを提案したことなども同様で、得られた情報を生かした「一歩先の心遣い」が感じられる。
「ご要望に応えるのは大前提ですが、何の工夫もアイデアも出さずに、言われたことをそのままやるだけにはしたくないんです。対話の中で感じたことや気づいたことも盛り込んで、施主さまご自身も気づいていないような“実はやりたかったこと”をご提案できたら理想です」と猪飼さん。
おそらく猪飼さんは、そういう能力がとても高い建築家なのだろう。そう考えるとSさん夫妻が初回提案ですぐに正式依頼を決断したというエピソードも腑に落ちる。猪飼さんのプランは外観デザインを筆頭に、自分たちの感性に不思議とフィットする魅力がいくつもあったのではないだろうか。そして、「この人なら要望が期待以上の形になって、自分たちの発想になかった豊かなライフスタイルを満喫できる」──そんな未来を直感したのだろうと思うのだ。
基本データ
| 作品名 | Slur House |
|---|---|
| 所在地 | 東京都 |
| 敷地面積 | 140㎡ |
| 延床面積 | 30㎡ |
| 家族構成 | 夫婦+子供1人 |
設計者情報
この実例を見た人はこちらも読んでいます

土手下の三角の土地に理想の我が家を ウイークポイントを個性に変える匠の技
家づくりにおいて土地条件は大きな要素だ。広さ、形状、高低差などの理由から、思い描いていた家が建てられないということもよくある話。「土手下の三角の土地」での建て替えを計画したIさんご夫妻。ハウスメーカーや工務店などと話をするも、希望通りの家にはなりそうもなかったという。そんな中、一縷の望みをかけたのが、土地のもつ力を巧みに利用し、快適な空間を作りだす匠、ア・シード建築設計の並木さんでした。

建築家ならではの工夫が満載の1Rリノベ 「ここに住みたい!」と選ばれる物件に
どこも同じようなつくりになりがちな、都心部にある1R。立地以外の差別化が難しく、とかく家賃競争になりがち。中古マンションの1R一室を自ら購入し、「ここに住みたい!」と思わせる物件へと再生、しっかりと収益性も確保したのは、蟻川建築設計事務所の蟻川さんと村田さんだった。

『生活予想図』から生まれた!?自然素材の“行き止まりのない家
「内装から断熱材まで自然素材にこだわりたい」。小学生の息子さんを持つKさん夫妻の要望に応えて建築家の福田義房さんがつくったのは、地元・埼玉の木材など国産素材をふんだんに使った住まい。シンプルで、おおらか。住む人(や、猫)と共に変化する、家族のようなお家。

個性的な住戸が集うコーポラティブハウス。全住戸に庭付き一戸建ての豊かさを
奥野公章さん設計の『荻窪ロウハウス』は、集合住宅でありながら自分好みの住まいをつくることができるコーポラティブハウス。驚くことに全住戸が庭付き一戸建て感覚で住めるという。住戸の事例とともに、工夫を凝らした奥野さんの建築の魅力を紹介しよう。

狭小地でも明るく広々。 木のぬくもりに包まれるカフェ風リビング
コンパクトな敷地で「広く感じられる家」をつくった建築家の吉田祐介さん。狭小地だからと安易に3階建てにせず、施主さまが好きなもの・好きなことを第一に考えたプランとは? 吉田さん独自の感性が光る、住む人の好みやライフスタイルを反映した家づくりを見てみよう。

狭小・北向きでも明るく快適! 家族が集まる居心地抜群のLDK
首都圏の狭小住宅でよく見かけるのが「3階建て・2階がLDK」というパターン。だが、東京を中心に数多くの狭小住宅を手がける(株)ホープスの清野廣道さんは、敷地14坪のU邸のLDKを3階・北向きに配置した。一見するとセオリーに反するようなこの間取りには、実はいいことが盛りだくさん。その魅力とは?

旗竿地のメリットって? その答えは… 自然に包まれて暮らす光溢れる平屋にアリ!
家づくりの予算には限りがある。土地探しからのスタートでは、上物にかけられる予算が少なくなってしまうのが悩みのタネだ。「NATURE SPACE」は土地の値段が安い狭小地や変形地で、土地形状を生かした設計も得意。採光、通風、家事動線、収納などの暮らしやすい間取りをベースに、独創的なデザインの住まいを叶えてくれる。

縦にも、横にも、上下にも広がる空間使い 敷地の周囲の緑を暮らしに取り入れた家
「どういう家なら楽しく住めるか」を考え、住むプラスアルファの要素を加え、他人に自慢できる家をと、常に住む人の暮らしのことや家づくりの満足度を意識しているという建築家の塚本さん。そんな塚本さんが設計事務所を起ち上げて最初の顧客となるM様邸は、敷地条件を生かしたコンセプトワークにも注目してほしい。

依頼主の心に散らばる要望を形に! 空室を作らない賃貸併用住宅
東京の下町の空気を残し、今若者にも人気のスポット「谷根千」。谷中、根津、千駄木、木造家屋とお寺が密集する、かつての寺町はいまや観光客で賑わう。そこに漂う昭和の空気を求め、週末になると多くの人が訪れる。そんな、日本の古きよき面影を残した街に、シックな黒壁とそこに木が浮き上がる特徴的なデザインの賃貸併用住宅が1棟ある。街の空気を壊すことなく、でも遠目にも目立つこのデザインには理由があった。
