
「都心の家」の複雑な課題を解きほぐす、
マネジメント力の建築家
都心生まれだから肌感覚でわかる、「都心の家」に必要な工夫
「もうひとつ、強い影響を受けたのは、大学を出てから独立するまで18年間お世話になった、坂倉建築研究所での仕事です」と言う。世界的な建築家であるル・コルビュジエの下で学んだ坂倉準三氏が立ち上げたこの設計事務所は、美術館や図書館など公共施設をはじめ幅広い建築物を手がけていた。「醸成期を迎えた、多摩ニュータウン開発の一環として、永山駅前の最後の保留地に計画された官民合築のビルの設計を担当しました。市民向けのホールから商業施設まで入る、駅前のシンボルとなる建物で、地域住民へのヒアリングや市の意向確認、民間デベロッパーとの調整など、企画調査にかなりの時間をかけました。『建築家に不可欠なのは、ヒアリング力だ』と、そのときに痛感しました」。
ヒアリング力とは情報収集力であり、目配りする力でもある。建築家というと「建物や空間をデザインする人」と思われがちだが、何よりも建物を建てるという巨大プロジェクトを成功に導く責任者=マネージャーなのだ。「予算や工期の管理、法令遵守の上で、膨大な作業を確実に行えなければ良い建築家ではない、と思いました。そこで独立の際に1年間の講習を受け、プロジェクトマネジメントの資格を取得したのです」。
そんな細江さんの手がけた建築物は、全方位に目配りの行き届いたバランスの良さが特徴だ。細江さんは法人物件と個人住宅の両方で多くの実績を残しているが、2015年に手がけたIT企業・テクマトリックス社の本社移転プロジェクトは典型的な事例だろう。「新本社の最上階の9階に、お客様を迎えるエントランスフロアを設ける案件でした。発注から竣工まで半年もなかったですが、ありきたりのものにしたくないと考え抜きました」。
細江さんは、このフロアを「経営にも、社員にも、訪問したお客様にも、そして社会に対しても意味のあるものにしよう」と考えた。「経営に対しては、納期を守りコストを抑えること。社員には、帰属意識と事業発展への意欲を感じてもらう工夫をしています。そしてお客様には、美術館のような落ち着いた空間でリラックスしていただく。そのために大型アートレンタルプログラムを導入してアートにより空間の演出を試みたのですが、これはアーティスト支援という社会貢献につながっています」。この空間に関わるすべての人に、メリットを生み出す設計になっているのである。
こうした丁寧な取り組み姿勢は、個人住宅でも変わることがない。2006年竣工の文京区N邸新築プロジェクトは、その好例だ。「長野県を拠点に活躍してきたお医者様夫妻が、娘さん2人と共に故郷の東京へ戻ることになり、実家に隣接する100㎡の土地に3階建てのコンクリート住宅を新築したいというご依頼でした。施主様の要望が明確でしたので設計はスムーズに進みましたが、細部で様々な対応が必要でした」。都心の限られた敷地で快適さを実現するため、1階は建物をコンパクトにまとめ前庭、駐車スペース以外に実家へ繋がる勝手口にも裏庭を計画。周りの空地は極力庭にし、エアコンの室外機などはすべて屋上に設置。さらに要望に沿って太陽光発電パネルも設置した。このパネルが区の日影規制に触れる可能性があると指摘を受けたのである。そのため建物自体は10mの高さであるが中高局条例の手続きも行う必要があった。
「周辺家屋の採光や風通しを妨げないよう、細心の注意を設計したのですが、パネルは盲点でした。その後、周囲の日照情況を細かくチェックし直して、問題なしとのお墨付きをもらうことができました」。
都心の家と、そこでの暮らしを熟知している細江さんならではの工夫もある。「いかに空間を有効活用してゆとりを生み出せるか、常に考えています。都心の家は3階建てが基本で縦の移動=階段が必須になりますので、たとえばN邸では緩やかな階段の途中にちょっと腰掛けられるスペースを設け、空間に遊びを持たせました。他の案件では、陶芸や絵画など趣味の作品を飾るギャラリーにしたケースもあります」。細かな配慮に満ちているのだ。
複雑な法規制をクリアした都心のビル改装も、「プロなら当然だ」
一方で、デメリットを逆手に取る工夫も数多く施した。「耐震補強のためにビルの正面に打設したコンクリートは、打ち放しコンクリート仕様とすることでデザイン的アクセントにしました。3階と4階のをメゾネット型の住宅として利用するために、3階に玄関を計画して、靴を脱いで階段を登り降りできるようにしました。
そのためには階段室を囲む壁を取り払い玄関スペースを確保する必要がありましたが、緻密に強度計算をしたところ、逆にビルの自重が軽くなって耐震性が上がることがわかりました」。これは増築ならぬ「減築」と言い、耐震対策の一手法だ。
こうした細かな折衝や確認作業も「決して苦ではなかった」と細江さんは言う。「都内には似たような古いビルがたくさんあり、今後に向けた貴重な勉強の機会となりました」。細江さんにとって、法律や条例、周辺環境や街づくりといった“公のニーズ”と、施主様の「こんな暮らしをしたい」という“私のニーズ”を高いレベルで整合させることは、喜びであり、やりがいなのだ。
「私は、設計した住宅を“自分の作品”だと思ったことはありません。どんなに困難な課題にも答えを出せるのが、プロでありそれはお客様の大切な財産なのです」。
課題の多い「都心の家」づくりの、頼もしいパートナーである。
基本データ
| 家族構成 | 夫婦 |
|---|---|
| 施主 | N邸 |
設計者情報
この実例を見た人はこちらも読んでいます

ずっとここにいたくなる。光・風・緑を感じて豊かに暮らす「窓辺の空間」がある家
東京・自由が丘に自宅兼アトリエを建てた建築家の小野喜規さん・齋藤真紀さん夫妻。完成したのは、既存の庭木を活かした心地よい「窓辺の空間」がある住まい。ほどよい距離感で屋外の自然とふれあう「窓辺」は心落ち着く居場所になり、何気ない普段の暮らしがこんなにも豊かになることを実感できる住宅です。

母と娘が思い思い!“今の快適”と“未来の安心”の共存の仕方
男性女性に関わらず、独身者が実家の敷地や建物を継承することが増えています。今後もますます増えると思われるこうしたケース、親子どちらも無理なく安心して住み継いでいくにはどのような方法があるのでしょうか。母と娘が一緒に考えたこの多機能住宅は、ひとつのヒントになりそうです。

ホムパしたい!間取り変更で24畳のリビングをカフェライクに!
2匹の犬と暮らす施主のNさんが行ったのは、リフォーム済みのマンションを自分流にアレンジするためのさらなるリフォーム。3LDKの間取りを2LDKに変更して完成したのは、人を招いてホームパーティを開くのが好きというNさんらしい、カフェのように洗練された空間だった。

変形敷地だからこそ。建築家によるプランニングで理想の間取りを実現
面白い家が建てられそう!土地を購入する際、予算だけではなく様々な理由からあえて選ぶ人も多い「変形敷地」。建築家の上原さんは「せっかくの敷地をフル活用したいなら、建築家がプランニングするのがベター」と言います。自由度の高い設計で、納得の家づくりを。

深い軒が生み出すコミュニケーションと 庭の景色を楽しむ唯一無二の家
施主は70代の夫婦。100歳を超えるお母様も快適に暮らせ、ときには家族や友人なども集まれる、人生の最終章に彩りを与える家づくりを任せたのは、自然や周囲の街並みと調和し、カタチとしての美しさだけでなく、心さえも動かす建築家、高橋翔太朗さんでした。

洋の家具もしっかり馴染む!上質で快適な”和”空間づくりとは
Mさんご家族は、30代の共働きご夫婦と小さなお子さん2人の4人家族。「四季や自然を感じられる、飾り気のない住まいを」という願いを受け、日本ならではの自然素材を用いた住宅建築を展開する建築家・加藤武志さんがつくりあげたのは、まさに「人、自然、家が一体となる安らぎの空間」だった。

宙に浮いたリビングが叶えた 様々な顔をもつ庭のシークエンス
子供の頃から住み続け、先代から受け継いだ土地の記憶を残しつつも、暮らしやすい家に建て替えたい。そんな施主の思いに応えたのは、物事の本質を見極め、類まれなる発想で、美しく快適な空間をつくりあげる建築家、荒谷省午建築研究所の荒谷さんでした。

趣味もフロアも悠々!一人暮らし「ならでは」の暮らしと家づくり
間仕切りがなく、全てがつながった巨大なワンルームのような一軒家。一人暮らしを楽しむK邸だからこその開放的なレイアウトが、この家の特徴的な個性であり魅力となっている。住まい手の希望する暮らし方や使い方にしっかり寄り添い、形にする建築家・久保田鏡湖さんの家造りに迫る。

まさか室内に水面!?震災に学んだ、住まいと自然の付き合い方
家の中にプール……ではなく、美しい水をたたえた“水盤”がある。一瞬度肝を抜かれるこの家は、建築家が自邸として建てたもの。さすがは斬新!と思いがちだが、決して奇をてらったわけではない。建築家が水盤を設けたのには、本人なりの強い想い入れがあったからだ。
