
深い軒が生み出すコミュニケーションと
庭の景色を楽しむ唯一無二の家
この街にない、でも目立ちすぎない
施主からの二律背反の要望への挑戦
施工に関しては、付き合いのある工務店に依頼をする予定だったものの、デザイン面では「江津にはないようなデザインで、でも悪目立ちしないものにしたい」という思いがあり、建築家へ依頼することに。島根県内の建築家を工務店とともにピックアップし、過去の事例などを調べていく中で、依頼を決めたのが、造形の美しさだけでなく、周囲の風景や自然と調和した空間を作り出すことを得意とする、高橋翔太朗さんだった。
ある日突然、「ぜひ依頼したい案件がある」と連絡が入った高橋さん。連絡をしてきた工務店は、これまでに仕事の付き合いがあったわけでもなく、コンペの参加への打診でもなかったという。いわばご指名での依頼に高橋さんは「とてもレアなケースなので驚きました」と語る。
しかし、高橋さんが過去に手掛けた建築をみれば、それほど驚くことではないことがわかる。高橋さんの建築は、デザインの美しさはもとより、光の取り込み方・照らし方が秀逸で、ずっとここに佇んでいたいと思わせる空間なのだ。だからこそ、これまで3軒ほど家を建ててきた経験があり、ある意味目の肥えた客といえるMさんのお眼鏡にもかなったのだろう。
「江津にない・悪目立ちしない」というMさんの要望は、二律背反ともいえる。この街にない家を実現するには、デザイン性を高めることなる。そうすると、必然的に周囲の環境から浮くような外観となってしまう。そうならないように、デザインと周辺環境との調和をいかにとるか。高橋さんの腕が試された。
深い軒が生み出す中間領域が
人の交流も、プライバシー確保も
510㎡もあるその敷地は、前面道路から50センチほど高くなっている。その真ん中に、奥に向かって長い直方体の上に切妻屋根をかけた建物が建っている。日本家屋でよく用いられる三寸勾配のかかった建物は、遠くから見るとシンプルな平屋建てに見えるが、正面まで進むとその印象ががらりと変わる。建物の中心線の左右でデザインが変わり、右側の玄関側は少し奥まっており、雨除けのために軒がかかるようになっている。
そして何よりも印象的なのが、右側の屋根から軒が長く伸び、東屋のようなポーチを形成していること。一瞬、ガレージなのかと思うが、ガレージは建物左側にビルトインで設けられている。ではこのスペースは?
「このポーチは外ではありますが、屋根の下なので屋内のようでもある、中間領域なのです」と高橋さん。
このポーチ、実によく考えられている。いくつもの役割を果たしているのだ。
1つめの役割は実用性。屋根がかかっている部分が約8畳と広いため、直射日光や雨などを防げる。気候の良い時期には、友人や従業員などを招いてBBQを行ったり、お孫さんの遊び場ともなることだろう。さらには、敷地奥に設けた畑で採れた作物をはじめとした、物置き場として使ったり、臨時の車庫としても活用可能だ。
2つめは、プライバシーの保護。Mさん邸は、このポーチの先に大きな庭が広がり、その庭が眺められるよう、LDKには大開口がある。そのままでは、家の中が丸見えになってしまう。しかし、屋根から伸びる軒が道路からの視線をちょうどよく遮ってくれるのだ。
外から中の様子がうかがえなくなってはいても、塀のように完全に視界をシャットアウトしているわけではない。すぐ先にある庭や縁側のようなバルコニーにつながっているため、家族や友人などが「Mさんいるかな?」とふらりと立ち寄ることが可能だ。なかには、立ち寄ったついでにウッドデッキに腰掛け、話をするということもあるかもしれない。
これまで店舗2階に住んでいたMさんの家には、もしかしたら気軽に立ち寄ることが難しかったかもしれない。しかしこの家では、玄関のチャイムも鳴らさなくていいし、靴を脱も脱がずに気楽に立ち寄れる。
高橋さんは、この深い軒の「中間領域」で、Mさんに便利さを与えただけでなく、人々が訪れ集う、コミュニケーションを深める場をつくりだしたのだ。
天井現しで開放的なLDK
室内のどこからでも庭の景色を
このLDKに面してMさんご夫妻の寝室やお母様の寝室となる和室が連なる。どちらも、LDKとは段差がなくフラットな仕上げ。引き戸を開け放てば、LDKと一体化した空間となる。LDKにいながら自室にいるお母様の様子も伺えるし、万一寝たきりとなっても、日中には庭の景色も愉しめるようにという配慮。
これだけ大きな空間となると冬の寒さが気になるが、そこも抜かりない。
「ペアガラスの採用や、断熱もしっかり入れ気密性を高くしました」と高橋さん。
Mさんも「エアコンを2台入れるようお願いしましたが、冬でも1台で十分暖かいです」とおっしゃっているとのこと。
実はMさん邸、100㎡もの広さがある割に、個室は3つしかない。夫婦とお母様の寝室以外には、ゲストルームがあるだけだ。夫婦それぞれに個室を設けたり、趣味の部屋などをつくることもできたはずだが、あえてそうはしなかった。それは、個々が部屋に籠るのではなく、庭の景色がみられる気持ちの良い空間で一緒に過ごす時間を大切にしたいからなのだろう。
この家の出来栄えにMさんも「快適です」とのコメントを寄せてくれた。
高橋さんは家づくりにおいて「自分の作品」であることよりも「お客様のために」を重視している。そのため、対話に多くの時間を費やし顧客の志向を探り、自分の頭の中で試行錯誤していくという。
そうやって生み出された建築は、デザインの美しさはもとより、その場に訪れてみてわかる居心地の良さをもっている。「ずっとここに居たくなる家」なのだ。
高橋さんのつくったM邸は、この街のどこにもなく、それでいて街に調和した唯一無二のものとなった。
この家で、Mさんご夫妻とお母様は、日々ゆったりとした気持ちで過ごすとともに、子や孫、友人などが訪れ、にぎやかで笑顔があふれる時間も増えるに違いない。
間取り図
基本データ
| 作品名 | WAKI H |
|---|---|
| 所在地 | 島根県江津市 |
| 敷地面積 | 510㎡ |
| 延床面積 | 109.31㎡ |
| 家族構成 | 夫婦 |
| 施主 | M様 |
設計者情報
この建築家が建てた家
この実例を見た人はこちらも読んでいます

築43年のマンションを一新。 やわらかな発想で実現した豊かな環境
建築家の小野さんが70年代の建築にこだわって物件を探し、見つけたのは1977年築のマンション。建物の丈夫さは申し分なかったが、自宅として快適に暮らすためには多くの問題を解決しなくてはならなかった。大規模リノベーションによって生まれ変わった空間を紹介しながら、「豊かな環境」について考える。

自然素材を駆使したカントリー調デザイン。 快適動線で心地よく暮らせる家づくり
白亜の外観が目を引くこの家は、「お寺の住職さん一家の住まい」。東京都世田谷区内の敷地はお寺の境内だが、住居スペースは自然素材を駆使したナチュラルなカントリー調。複雑な建築規制を突破して機能性とデザイン性を両立し、「家にいる時間が長い分、心豊かに暮らしたい」との要望に応えた魅力的な住まいとは?

黒い箱の中にはこんな豊かな空間が! 白・黒・シルバーで統一された家
建築家にとっての喜びの1つに「引渡しから数年を経ても、施主家族が入居当時の状況を維持してくれている」というのがあるという。それは、施主がその家の出来栄えに満足し、そこでの暮らしを楽しみ続けているからに他ならない。「ha」の保坂裕信さんも、その喜びを味わった人の1人。保坂さんの家づくりに迫る。

完成してからがはじまり 時間をかけてつくりこむ家
家が完成するとはどういう状態だろう。工事が終わったとき? 引っ越しを終えたとき? それとも、住む人が思い描いた暮らしができるようになったとき? もしかしたら、家には完成という言葉はそぐわないのかもしれない。そう思わせる建築家が、N.A.O代表の加藤直樹さん。加藤さんが設計したHOUSE Kに迫ります。

閉ざしているようで、閉ざしていない 壁に囲まれていながら光と風を感じる家
佐賀県佐賀市の住宅街に、白い瀟洒な邸宅が誕生した。その外観には窓がなく、まるで洗練された店舗のようだ。最大の特徴は、壁で家が囲まれ外からの視線が気にならないのに、光や風が入り、外の気配を感じられることだ。この住宅に込められた工夫の数々をご紹介しよう。

建物に囲まれた平屋でも、たっぷり採光。 明るく開放的な「光井戸のある家」
施主さまのご要望は、「日当たりの良い明るい平屋」。けれど隣地には3階建ての住宅があり、採光はかなり不利……。それでも、建築家の吉田祐介さんは要望通りの明るく開放的な住空間を実現。どのようにして環境のハードルを乗り越えたのだろうか?

施主の真の望みに寄り添い生み出した 大阪の密集地に光あふれる豊かな空間
金沢から大阪への移住を決めたSさんが求めたのは「自然に開かれた住まい」。自作の図面を持参するほど家づくりへの強い想いを託したのは、デザインと施工を両立する建築家、中土居宏紀さん。施主の真の想いを丁寧に掘り下げ、想像を超える仕事ぶりで信頼を得た中土居さんは、隣人も驚くほどの広がりと光あふれる豊かな空間を生み出した。

北海道住宅の断熱性能を道外で!書斎のある省エネ住宅。
日常生活をする上での動線や、室内の段差の有無など、住みやすさを決める要素は様々。そのなかでも「室内の熱環境」が重要だと話すのは、北海道在住の建築家、遠藤 淳さんだ。今回は、そんな遠藤さんが手がけ高断熱省エネ住宅をご紹介する。

プライバシーを守れて解放的、2階で土に根を張る木々で「ホッ」
共働きで、かつ、ふたりともお医者さんというXさんご夫婦は、おばあさまの手も借りながら子育てもする忙しい毎日です。そんな日々のなかでもホッとできる場所がほしいと、庭も一緒に考えてくれるという勝田さんに相談をすることにしました。

