
ボリュームプラン提出は、わずか 90 分
施主も入居者も満足するすご腕設計力
個人事務所で集合住宅 65 棟の実績の秘訣は
唯一無二の超高速プラン提出
ところが、個人で活動する建築家が手掛けるのは戸建て住宅が中心で、集合住宅を手掛ける建築家は驚くほど少ない。なぜこれほどの偏りがあるのだろうか。
それは、戸建てと集合住宅とでは、「向き合う対象」と「制約」が違うという点にある。
戸建て住宅の場合は、施主と住む人が同一のため、施主の夢や理想を形にすればよい。もちろん、それ自体が簡単なことではないが、少なくとも誰のための設計かは明確だ。
しかし集合住宅の場合は、施主はデベロッパーや投資家である一方、実際に住むのは一般の入居者たち。施主が求める「収益性」と入居者が求める「住みよさ」という、時として相反する要素をバランスよく満たす必要がある。
さらに厄介なのが、個人住宅より遥かに厳格な制約や法規の存在。特にワンルームマンション条例は複雑で、例えば東京 23 区でも区によって違いがある。最低住戸面積や、ファミリー向け戸数の比率はもとより、駐輪場の台数まで違うといった具合だ。
そのため、同じような広さ・形の土地であっても区が違えば、建築規模や戸数・間取りが違うといったこともありうる。これらをしっかりと把握する専門性が必要とされるため、マンションを設計する建築家は、デベロッパーなどに所属していることが多い。
そんな状況の中、個人事務所でありながらも、約16年間で65棟、704戸の賃貸マンションを手掛けている建築家がいる。
設計事務所バリカンの中川さん。「坊主頭なのでバリカン」というユニークなネーミングは一度聞いたら忘れない。
ではなぜ中川さんは、個人で困難とされる集合住宅の設計でこれだけの実績を築けたのか?それは、中川さんのアイデアに富み、入居者のニーズを的確に汲み取る設計力あってのことだが、最大の武器は「スピード感ある対応」なのだ。
それは「わずか 90 分でボリュームプランを提出すること」だ。
土地の図面を受け取ってから 90 分以内に、敷地の利用計画、建物のボリューム、戸数や各住戸の面積・形状といった基本構想を作成し、返信する。
にわかに信じがたいこの超高速対応こそが中川さんの代名詞でもあり、他者には真似できない唯一無二のスキルなのだ。
高い経験値と徹底した仕組み化で実現
楽しみながらパズルを「解く」
「私のお客様の多くが、まさに今この土地を買うかどうか迷われている方々なんです」と中川さんは語る。
中川さんの顧客は主に、マンションデベロッパー、不動産会社、投資家だという。彼らは市場に出た土地や、金融機関などから紹介された物件について、購入の可否を迫られている。不動産は、一瞬で他社に流れてしまうこともある激戦の世界。
だからこそ、中川さんに相談してから90分でボリュームプランが受け取れれば、即座に収益性を検討し、土地購入の判断ができる。デザインや内装といったものは、後日じっくり詰めれば良い。
もちろん、土地取得に至らなかったり、事業性が見出せず、話が流れてしまうこともある。しかし、この圧倒的なスピード対応によって、そのまま中川さんに詳細設計を任されることが多いという。
この驚異的な高速対応は一朝一夕に身に着いたものではない。
「もともとは、2日かかっていたものが、1日になり、6時間になり、3時間になりと、段階的に時間を短縮していきました。毎回メールチェックから送信完了まで時間を測り、今では90分で送れるようになりました。記録更新していくのが楽しいというのもありました」と中川さんは語る。
このスピードを支える要因の1つは、中川さんの経験値の高さだ。いくつもの棟数を重ねていくうちに、もっとも効率的な規格というものが見つかってきた。例えば天井高などのサイズを、どのケースにおいても統一しているという。
次の要素は、徹底した仕組み化だ。事務所で仕事中にボリュームプランの依頼があった場合、これまで手掛けていた仕事をいったん中断し、最優先で取り組むことに決めているという。
これにより図面完成後に、条件不適合でやり直すという手戻りを省いた。「他社は区ごとの違いを見逃していて、想定していたプランができないということもあるようです」と中川さん。
そして何より、この90分以内でという縛りを中川さん自身が楽しんでいることも大きい。「容積率も0.5m²以上余らせないということも自分に課しています。もともと数学やパズルを解くのが好きでした。難問が『解けた!』という快感がモチベーションになっているのかもしれません」と語る。
こうして、効率性を追求しながらも、顧客目線の配慮も抜かりない。例えば住戸面積の設定。29.7m²と30.2m²では、実際の使用感にほぼ差を感じることはないだろう。しかし、こと不動産サイト上だと大きな違いとなる。
「検索で30m²以上で絞った場合、29.7m²の物件は候補に表示されません。だから、この検索性も考えた上で面積を設定しています」と中川さん。
この細かな心配りまで含めた、抜群の対応力が、クライアントに「中川さんにお願いしたい」と思わせる決定的な要素なのだ。
制約を武器に変えた「ペット共生」
飼わない人からも選ばれる魅力的住空間
クライアントは都内で収益用賃貸住宅や分譲戸建て、リノベーションなどを手掛ける不動産デベロッパー、バンブーフィールド。中川さんの手腕に信頼を置き、継続的に依頼する関係だ。
いつものように、土地の図面と共にボリュームプランの作成依頼が舞い込んだ。場所は東中野の閑静な住宅街。広さは十分にあるものの、一筋縄ではいかない条件があった。それは、第一種高度地区という規制に加え、避難経路確保のため、敷地の約3分の1に建物が建てられないという制約。頭を悩ませる難条件だが、中川さんは90分という時間的制約の中で、ひとまずのボリュームプランを提出した。「やむなく、1階住戸に専用庭を設けるプランで提出しました」と中川さん。
その後しばらくして、基本設計の依頼が届く。改めて、じっくりと間取りを検討していく中で湧き上がってきたのが「この広い庭を、庭のままにしておくのはもったいない。もっと豊かな空間にできないだろうか」という思い。
その中で出てきたのが、専用のドッグランにするというアイデア。さらにこのマンション全体を「ペットとの共生」をテーマにするというもの。エントランスに、足洗い用の水栓を設け、4階のルーフバルコニーには人工芝のドッグラン。一部の住戸には、キャットウォークにもなる棚も設置するというもの。さらには、ビルトインの消臭装置やペット見守りカメラを標準装備とした。
こうすることで、家賃を高く設定できる。そして何より入居者が長く住み続けてくれることにも繋がる。
こうして完成した建物を見ていこう。FABRIC東中野と名付けられたこの建物は、4階建て全18戸。25.14m²~40.79m²まで4タイプで構成される。
外観はシックで落ち着きあるホテルライクな佇まい。道路に面する部分は3階として、周囲の建物との調和も図った。
エントランスは、2段分階段を下りた先に設けた。日影規制に抵触しないよう、高さ10mに抑えるための工夫。宅配ボックスが併設された集合ポストで、利便性も高い。
住戸へのアクセスは、カーペットを思わせる長尺シートの内廊下を採用。ペットがいることでの防汚性とデザイン性を兼ね備えた。扉は黒で統一され、外観同様にホテルのような高級感を感じさせる。
各戸の玄関は段差のない、広いオープンクローゼット仕様。スペースの有効活用と利便性の両立だ。特筆すべきは、部屋との間に設けられたアクリルの仕切り扉。部屋との明確な区切りでもあり、ペットの飛び出しを防ぐ役割も果たす。
室内は、薄いグレーの壁で統一された落ち着いた雰囲気。年代や性別を問わずマッチする配色。大きくとられた窓から自然光が入り、空間に開放感をもたらしている。
キッチンは、本格的な料理にも対応可能なファミリータイプを採用。洗面所はコンパクトながらも、シンプルでモダンなデザイン。シンク下をあえてオープンにすることで、ペット用トイレを置く場としても活用できるといった配慮がある。
こうして完成したFABRIC東中野。募集後、即入居が決まった部屋も多く、中にはペットを飼っていない人・飼う予定もない人も入居しているのだという。いわば、ペットを飼わない人にとっても刺さったのだ。それだけ、中川さんのデザイン力が評価されていることの証だろう。
90分という超ハイスピードでのボリュームプラン作成から始まった設計が、入居者にとっても施主にとっても価値あるものとして結実した。
収益性を求めるデベロッパーの願い、住みよさを求める入居者のニーズ。この2つを創意工夫によって両立させられる、中川さんの手腕には驚かされるばかりだ。
基本データ
| 作品名 | FABRIC東中野 |
|---|---|
| 所在地 | 東京都中野区 |
| 敷地面積 | 358.7㎡ |
| 延床面積 | 730.21㎡ |
設計者情報
この建築家が建てた家
この実例を見た人はこちらも読んでいます

家の中に公園があるかのよう。 子どもがのびのび遊べる住まいのつくり方
ノアノア空間工房の大塚泰子さんがプランニングしたのは、敷地内の高低差を活かし、中庭を周遊しながら2階に上がっていくスキップフロアの家。大人が心地よくくつろげて、子どもはのびのびと育つ──。中庭はつくり方次第で暮らしの豊かさに大きな差が出ることを実感する、魅力的な住まいのポイントを聞いた。

ここだから住みたい、ずっと住みたい 永く愛され地域と共に歩む集合住宅
住まう人を満足させるだけでなく、収益性も満たさねばならない集合住宅の建築。とかく、「効率的で利回り良く建てる」ことばかりに眼が行きがちな集合住宅づくりに一石を投じたのは、アリアナ建築設計事務所の三野さん。高いデザイン性とオリジナリティーで「ここに住みたい」と選ばれ、長く住み続けてもらえる住宅が完成した。 三野 貞佳 みの さだよし アリアナ建築設計事務所 大阪市北区

公園の緑を生かすカギはスキップフロア 家族一緒も1人でも自然を感じる快適生活
自然を感じられる環境を求め土地探しをしていた施主が見つけたのは、公園に隣接する分譲地。緑を感じながら居心地よく暮らせる家づくりを任せたのは、土地の持つ力を最大限利用し、快適な空間を生み出すパッシブデザインの匠、ア・シード建築設計の並木さんでした。

敷地を最大限活用し、空間を使い切る。 質感が感じられるLDKが魅力的な木造住宅
お施主さまは自宅を新築するにあたり、家族が集まる広々としたリビングが欲しいとお望みだった。建築家の鈴木さんは敷地いっぱいに建物を計画したうえ、可能な限り柱や壁を減らした広々空間を技術により実現。重厚な質感の内装が魅力的で、暮らしやすい。コストパフォーマンスにも優れた「これぞ都会の家」ができた。

スキップフロアで叶えた可変空間 多摩川のパノラマといくつもの心地良い場所
建築家の自邸は、単なる生活の場ではない。建築家自身の力量や設計哲学を体現するモデルルームでもある。戸建て住宅の設計やリノベーションを手掛ける建築家、松田文男さんが自邸を構えたのは、住宅が密集する旗竿地でありながら、多摩川の河川敷に広がるパノラマが一望できる土地だった。制約の多い土地でどのようにして抜群の眺望と家族それぞれの居心地良い空間両立させたのか。模型やシミュレーションを駆使した松田さんの設計手法に迫る。

キーワードはリゾートを想起させる“楽園” 仕事や料理を満喫できる、非日常空間
東京都江東区に、とても印象的な邸宅が誕生した。外観はスレートと木のシンプルでモダンな佇まいだが、扉を開けると内観はまるでリゾートにある建物のよう。それもそのはず。この作品は、お施主様からリゾートのような雰囲気や、非日常感のある空間を希望されて誕生したものなのだ。その詳細をご紹介しよう。

緻密な計算と小さな声に耳を傾ける!ずっと愛せる素材の住まい
20年来住んでいたマンションの周囲の環境変化により、新築の戸建てを検討していたGさんご家族。訪れたオープンハウスで見た温かみのある家を気に入り、建築家の金子正明さんに家づくりを依頼する。たたずまいと木材の風合いを大切に生かした大屋根の家は、シンプルながら物語に出てくるような愛らしさを醸し出す。

コンパクトな中に、驚きの大収納も欲しい部屋も、全部ある!
川沿いに建つ、ランダムにあけられた窓が印象的なI邸は、間口4.5m、奥行き12m、約10坪の狭小住宅。しかしそのコンパクトな外観からは想像できないほど、居住空間はのびやか。スキップフロアのLDKは大容量の床下収納も備えるなど、随所にワザありの住まいなのです。

限られたスペースを有効活用!築40年、37平米のマンションを素敵にリノベーション
都心にほど近い街で暮らす、kurachiffon 瀧内未来一級建築士事務所代表の瀧内未来さん。築40年ほどのマンションをリノベーションしたという物件は、自宅兼仕事場として、日々の生活を送りつつも、使い勝手や生活導線を考えながら設計をしていったそうです。以前は、日当たりや風通しがよいとはいえない部屋に住んでいたという瀧内さん。今回は、切望していた日当たり、そして風通しのよい新たな住居を造り上げていった過程や、リノベーションの魅力についてお話しを伺いました。

