
湘南の海を愛する施主が求めたのは15mの塔
施主と地域の人々の安心のランドマーク
普通の土地に高さ15mの住宅を
難しいが、やりがいのあるチャレンジ
この建物の施主であるYさんは、湘南で育ち人生の大半を海と共に過ごしてきた。毎朝海からパワーをもらい、一時期海から離れた生活を送っていた際には体調を崩してしまったというほど、海とは切っても切れない関係。また、東日本大震災では、ボランティアとして津波の被害地域に滞在し、海の厳しさを改めて感じるという経験もしたのだそう。海の酸いも甘いも噛み締め、それでも海と共に生きていく覚悟をもってこの地に家を建てようと思ったのだ。
Yさんが求めたのは、15mの高さのある家、そしてどんなことがあってもその高さまでのぼれるということ。それはもちろん海を高く見晴らしのよいところから見られる生活を送りたいということもあるだろう。しかしそれよりも、万一の津波のときに、自分たちや周囲の人々が避難し生き延びられる、地元に貢献できる家にしたいと思ったから。
そんなYさんの相談を請けた地元の工務店は、「とてもウチでは手に負えないが、あの人達だったらなんとかしてくれるかも」と建築設計事務所可児公一植美雪との縁をつないでくれたのだという。
「第一印象は『これ大丈夫かな?』でした」と可児さん。
それもそのはず。依頼のあった土地はそれまで普通の住宅が建っていた一般的な土地。法規制上は高さ15mまでは建てられるとはいえ、周囲の住宅への日影の影響も考慮する必要がある。そして何より、上下移動をどうするかという問題もあった。
でもすぐに「これはやりがいのある仕事だ。難しいだろうけど、チャレンジしたい!」という気持ちになったのだという。お客様の熱い想いに触れ、夢を叶える同志として力を発揮したいとの思いが湧いてきたのだろう。
固定観念にとらわれない外スロープが
いくつもの役割を果たす
15mもの高さともなれば、第一選択はエレベーターだろう。しかしそれでは、万一の津波の際には行き来ができなくなる。はしごというわけにはいかないし、やはり階段か?でも、それもしんどい…。
そんなときYさんの奥様が「スロープにしてほしい」と発したのだとか。
しかし可児さんは瞬時に「それは不可能です」と断ったのだという。
それは、高さをとるために平面が制限されたことで、室内にスロープを設置する余裕がなかったからだ。
「一度は断ったものの、それからずっと心にモヤモヤがあって…『普通じゃ無理だけど、本当にできないんだろうか?』と別な方法を自問自答し続けていたんです」と可児さん。
そんな中思いついたのが、スロープを室内にではなく、建物の外に巻きつけるという斬新なアイデア。これであれば、車椅子でも、這ってでも上までのぼれる。しかしそれでは、上下移動のたびに外に出なければならない。「果たしてそんなことを受け入れてもらえるのか?」「大雨や台風のときなどは大変ですよ」と不安ながらも提案したところ、Yさん夫妻は「そんなことは全く問題ない。これはいいですね!」と手を叩いて喜んでくれたのだという。
「目的のためには不便な部分があっても構わないという、懐の深いお客様だからこそ成し得た案件です」と可児さん。
「こうするのがセオリー」「普通だったらこうしない」といった固定観念を取り払い、原点にかえって物事を考える。これが可児さん植さんのポリシーだ。だからこそ大胆な発想ができ、施主の要望にピタリとはまった提案ができるのだ。
実は外スロープには、「上下移動には外に出る必要がある」という1点を除けば、いくつものメリットがあった。
まず1つめは、いわずもがな室内空間の確保。そしてスロープを室内に設けるよりも角度が緩やかとなり、車椅子でものぼれるようになったこと。さらには、スロープが庇の役割を果たし、下からの視線を遮るほか、夏や冬の日差しを上手にコントロールしてくれるのだ。
そしてもう1つ。スロープが外壁の周りをぐるりと取り囲んでいるため、常に建物の周囲を見ることができる。外壁を掃除したり、経年による劣化にも気づきやすいのだ。さらにメンテナンスが必要となった際も、スロープが足場代わりとなり、足場設置の費用や手間が抑えられるというオマケまでついた。
「訪問したときに奥様が、外壁をお掃除されていました。家を愛でてくれているんだとわかって、嬉しい気持ちになりました」と植さん。
「無理だと諦めない」「常識にとらわれない」ところから生み出された外スロープというアイデアに、いくつもの役割をもたせてしまう可児さんと植さんの力量には驚かされるばかりだ。
デザインありきではない
本質を突き詰めた上での造形
ある建築家さんから、可児さんと植さんが建築したことを知ると「もっとイケイケの感じの人たちかと思ってました」と言われたこともあったという。「そして『我々からあの物件を提案したのではなく、お客様が望まれたものを形にしたんです』と答えるともっと驚かれました」と可児さん。
可児さんと植さんのつくる建物は、他の建築家も驚くほどエッジが効いている。しかし、本人たちには、「こんなものを作りたい」「こうしたらすごいだろう」という奇をてらう意識は全くなく、いたって自然体。
施主が真に叶えたいことを見極め、叶える方法を2人の頭脳の掛け算で導き出し、それが形となって現れたものが、可児さんと植さんの建築なのだ。
それでいながら、デザインとして美しく、唯一無二の建築物にしてしまうのが、可児さんと植さんの真骨頂。
Yさん夫妻も「毎朝の日課のランニング時に自邸を見て『今日もかっこいい!』と再認識している」とのコメントを寄せてくれた。機能面だけでなく、フォルムまで愛でてくれているのだ。
Y邸は、近い将来高い確率で発生するといわれる、首都直下型地震や南海トラフ地震で発生するであろう津波から、人々を守ってくれることだろう。いや、実際にはそんな地震など発生せず、人々が押し寄せることもないほうがよい。この家のポテンシャルは発揮されないことが望ましいという矛盾を孕んでいる。
この家は、ここに存在するだけでYさん夫妻はもとより地域の人々にとっての、安心のランドマークでもあるのだ。
これからも可児さんと植さんのつくる建物は、多くの人々の心を惹きつけるに違いない。
間取り図
基本データ
| 作品名 | KUGENUMA-Y |
|---|---|
| 所在地 | 神奈川県 |
| 敷地面積 | 185.67㎡ |
| 延床面積 | 102.89㎡ |
| 家族構成 | 夫婦 |
| 予算 | 6000万円台 |
撮影:Koji Fujii/Nacasa&Partners Inc.
設計者情報
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